「朝のかたち」というものがあるわけではない。そもそも朝はかたちではなく、時間というふわっとした概念である。それをあえて「かたち」にアブダクション(仮説形成)するのが課題のテーマである。朝起きてから視線に入ってくるすべて、触れているもの、感じていること、ふるまいや仕草もふくめて、朝という時間をつくっていくのかもしれない。そこでは、たしかに「朝のかたち」が、朝という明解な概念を生成しているのだろう。