基礎デザイン学科

science of design

明朝体「はくれい」の制作
吉田大成

本文書体をつくること、それはタイポグラフィへの敬意と膨大な作業量、そしてなによりも気の遠くなるような一貫した緻密な制作時間をともなう。グラフィックデザインがアプリケーションづくりだとすると、その根幹、OS(オペレーションシステム)を生成・構築することに近い。吉田君はこのタイポグラフィの本質に迫る大テーマに真正面から取り組み、ひらがな、片仮名、漢字、なんと5500字にものぼる、そこはかとない流麗な明朝書体とそのファミリー展開を見事に描きあげたのだった。 基礎デザイン学科教授 板東 孝明

NOISE
北原 聡一朗

止まっているはず物体の中にうごめく正体はなんだろう。規則正しく開けられた細かな穴から表れるモアレと、内壁を埋める図像がシンクロしてノイズのような有機的な表情を生み出す、それがうごめきの仕掛けだ。その現象を内包する多角形の物体の質量は、ノイズとフォルムによって不明瞭となり独特の物質感を放ち、見る側に能動的な洞察を促す。表現の精妙さが秀逸で、冷やかな独自の世界観を創出した作品である。
基礎デザイン学科教授 柴田 文江

へきれき
谷口 敦記

雷のカタチには二つと同じものがない刹那の美しさがある。真っ暗な室内を使ってその閃光の緊張感と儚さとを体感する装置、それが谷口の作品だ。光がランダムに現れる間合いを緻密に設計し、自然の畏怖と無限の空間を見るものに感じさせる。足元の明かりや静けさを誘うかすかな放電を模した音など、へきれきと対峙する状況の全てが巧緻を極めた作品であり、その構成力と完成度が高く評価された。
基礎デザイン学科教授 柴田 文江

スカーフチェア
守本 悠一郎

椅子はこれまでも数え切れないほどのデザインが生み出された対象だが、守本は平面から立体を立ち上げる「変形」というアイデアを制作の軸とし独創的な構成を探りあてた。素材の張力と形の張りが構造の要であり、ビニール素材はそれを明示するのにも適切だ。エッジに溜まった素材の色がアウトラインの美しさを際立たせ透明という存在感を放っている。平らな時のカタチと椅子になった状態の二つの美しさを併せ持った作品である。

キネティック・ポエトリー
齊藤大介

作者は精緻の極みである小さな歯車や部品が、薄い隙間にぎっしりと集積している時計に魅了され、その運動にそそられるという。そのような構造を、文字でできている「小説」の再現に運用してみせている。ここでは村上春樹訳のスコット・フィッツジェラルド『華麗なるギャツビー』の一節を、バラバラに解体された文字の集積として丁寧に制御しながら、あたかも精密機械にように、テキストが生成、変化、解体していく様を、キネティックに描いて見せている。

キミのスレスレ
大石麻紀子

卵の「黄身」を人間の身体のメタファとして用い、環境へのアフォーダブルな視点を喚起する作品である。黄身は柔らかく可変性に富んだ物体である。粘性の高い液体が薄く強靭な皮膜で覆われている。これを斜面から滑らせたり、落としたり、四角い箱に収めたり、糸をくぐらせて持ち上げたり、平面を押し付けたりと、多様な圧力やストレスを加えてみせる。それに応え適応していく黄身の姿に、宇宙の摂理の中で生を繋いで生る人間の健気な存在を写し出している。キミは「黄身」であるとともに「君」でもあるのだ。
基礎デザイン学科教授 原 研哉

Liquid
PARK DONGWON

窓に付着した雨粒が、重力によってガラス表面をつたい落ちる。粒と粒が融合しながら、アメーバのように運動する光景は、誰もが目にし、そして記憶しているものである。作者はこれを精密な動画として再現した。その次に、その運動ルールを抽出し、それを他のアニメーションの運動原理に適用して見せた。それは図像、文字、日常の風景や都市の景観のような多様な動画に適用されており、いずれも意外性のある感動を生み出している。誰もが記憶している事象を、表現の原理として運用できている点が秀逸である。