第62回企画展「デザインの理念と形成:デザイン学の50年」
会期|2016年11月19日(土)~12月25日(日)
会場|東京ミッドタウン・デザインハブ
協賛|(株)中川ケミカル
企画・運営|武蔵野美術大学 デザイン・ラウンジ / 基礎デザイン学科研究室
東京ミッドタウン・デザインハブでは、11月19日(土)より
第62回企画展「デザインの理念と形成:デザイン学の50年」を開催します。
本展では、デザインの理念を基盤としたデザイン実践、実践を通して具現化するデザイン思想、
批評や啓蒙活動へ拡張されたデザインを提示します。デザイン実践には、社会の大きな変動に対して先見性に富むもの、
独自のデザイン領域を拓くもの、新たな造形の役割を提起するもの等があり、
それらを武蔵野美術大学基礎デザイン学科卒業生を中心とした50名によって、
社会の現実と向き合った50年のデザインを展示します。
また、会期中にビジュアルコミュニケーションデザイン、プロダクト環境デザイン、
情報デザインの今と未来を考えるデザイン教育とデザイン実践のトーク・イベントや
パネルディスカッションを開催いたします。デザイン専門家ばかりでなく、
デザインに関心をお持ちの方々のご参加を歓迎いたします。
撮影/いしかわみちこ
1948年生まれ。東京都渋谷区出身。
文化空環デザイナー・文化施設プロデューサー/ 公共空間コンサル/ 日本展示学会会員/(株)トータルメディア開発研究所役員歴任/(株)文化総合研究所代表取締歴任
1971年基礎デザイン学科卒業後、凸版印刷で講談社の図解を多用した新しい百科辞典全25 巻の編集デザイン業務に数年従事。その後、平面表現から空間・立体表現へと志向が高まり、トータルメディア開発研究所へ移籍。大阪万博跡地に建設された国立民族学博物館のデザイン設計から制作までの展示業務を経験。その後、ミュージアム建設ブームもあって業務機会に恵まれ数多くの新博物館建設に関われた。現在も、文化空環創造プロデューサーとして活動している。
「文化を事業化し空環化したミュージアム」
歴史の新解釈展示・都市の展示・文化の展示・人物の展示
深川江戸資料館(江東区立)
江戸時代の深川の環境を寺社建築の手法を用いて、近代建築内に今に創り、未来に残せる文化財として再現。
京都文化博物館(京都府立)
京都の街全体がミュージアム、その中心地に京文化を集積した博物館。多様な文化を持ち帰れる拠点として制作。
江戸東京博物館(東京都立)
東京都の文化迎賓館として建設が起草。都市東京の歴史を江戸と東京で積層し・連続非連続を浮かび上がらせることで、首都東京の、教科書の日本史では語られない歴史事実を展示。
寺山修司記念館(三沢市立)
TERAYAMA WORLD を12のシーンで構成。建築から展示までを全体プロデュースした作品。
文化を素材に文化空環を創出した経験から。展示とは、対象テーマ(モノ)を展いて見せる行為である。その見せ方に質が求められる。質とは、単純なデザイン処理で展示創出するのみならず、数学・歴史学・社会学・論理学・経済学・心理学など学際的に複合化を図る、編集工学として得られるものと考える。例えば「◯◯公園」基本計画立案では、思考の出発は、遊具や施設などの独自性・差別化のみを探らず、利用者の社会環境や資源環境に加えて歴史文化面を掘下げる。さらに時代を越えた継続性の機能を探ると、施設整備者と利用者が協働しあえる場とはどんなものかに行き当たる。
その結果「共キョウエン園」といった発想が生まれる。このようにテーマを環境整備事案と捉えずヒトの為の文化事案とすると、独自性・持続性・公共性などに優れた素案を創り上げることができました。
1947年兵庫県尼崎市に生まれる。
1972年米国ミード社と日本のトッパン印刷の合弁会社ミードトッパン株式会社に入社(現在、会社は合併を何度も経てウェストロックという会社になっています。)
以来、 パッケージデザインの製作活動を行う。手掛けた仕事:コカコーラバスケット型キャリア/オロナミンC 10本パック/きのこの山/鶴屋吉信「京観世」/アサヒビール6缶パック/サントリー6缶パック等
パッケージの構造デザインというのは、ものを包むために、板紙に折れ線やカットを配置するデザインです。特に私が携わっているマルチパッケージのデザインは、容器の形状を生かしながらそれらを固定し、最少の紙で容器を包み、安全に輸送し、取扱い易いパッケージに包まれた商品を消費者の手に渡るようにすることです。このような、パッケージの構造デザイン一筋に44年間仕事をしてきました。
私自身のパッケージの構造デザインという仕事を見たとき、デザインは容器がどのような状況で充填されどのような目的で包まれさらにどのような使われ方をするのかということが非常に重要なポイントになります。その製品の生産工程や機能を考えて、パッケージのカットや折れ線にそれぞれ機能を持たせて合理的なデザインをしていきます。基礎デザイン学科卒業生で私のようなパッケージの構造デザインを仕事としている方はいらっしゃらないかと思いますが、基礎デザイン学科の、デザインに目的を持たせその機能を探求していくところに私の仕事に通じるところがあるように感じます。これからも基礎デザイン学科らしい、デザインの独創的な探求、理論の研究等、期待しております。
石川県生まれ。バウハウスの流れを継承するカリキュラムに興味を持ち、1969年、基礎デザイン学科に入学。70年学園紛争に遭遇しつつも、自身のデザインへの探究心は止まず、特にヒトが文字や言語を獲得してから様々なコミュニケーションを発展させる過程を関連諸科学を通して学ぶ。1973年(昭和47年度)基礎デザイン学科卒業。1975年 同大学院修了。高田修地デザイン事務所にてグラフィックデザインの実務を経験する。単至表現企画室の設立に参加。その後約10年間、地図、百科事典の企画、制作業務に携わる。1986年、東京での活動に終止符を打ち、金沢に戻る。地元のデザイン会社(ナカダ株式会社)に入社、現在に至る。会場設営の現場を体験し、地方都市金沢に潜在するデザインへの要請に日々取り組んでいる。
現在の会社で私がこれまでに係わった会場設営の仕事の一端です。その内容と会場は多種多様で多面的です。それを象徴する多面体(正12 面体)の表面に風景写真をモザイク状に貼りました。タブレット端末でも風景写真をスライドショーで流しています。
金箔雪吊り(金沢市武蔵が辻)/環日本海展(国立科学博物館)/ギフトショー石川県ブース(東京ビッグサイト)/トキ展示コーナー(いしかわ動物園)/老舗伝統工芸展(金沢市民芸術村)/老舗百年會30周年展(金沢21世紀美術館)/石川県インテリアデザイン協会展(しいのき迎賓館)/老舗百年展(金沢老舗記念館)/市民感謝デー(金沢中央卸売市場)/モニュメント除幕式(金沢市etc.)
入学当時の理念と形成を見たときの新鮮な驚きは今でも忘れません。視覚方法論と表示方法論の演習を軸に、記号論、文体論、論理学、形態論、認知心理学、文化人類学、サイバネティクス、エルゴノミクス、環境シュミレーション、などの隣接諸科学は、デザインがカタチの表層のことだけではなく、人間生活の様々な場面に深く関わっていることを示唆するものです。一見、実社会とかけ離れているようにも思いますが、その後のITの急速な進歩の中でも決して色褪せることなく、知の座標軸となって、私のデザイン活動を支えてきました。50周年を迎え、社会が更に大きく変動していくなかで、これから基礎デザイン学科で学ぼうとする方々が自信と希望を持って、新たな道を切り拓いていっていただくことを念願しています。
5年前のある日、原教授が「凸版に奥窪という卒業生がいる」と私に。その後人事異動で合流。彼に私が暖めていたフェルメール作品に関わるコンテンツ企画を話す。新しい絵画鑑賞法の考察とし「ViewPaint」と名付け、チームを作り開発開始。
樋澤は、1974年の卒業。印刷表現とデジタルの融合を思考、90年米国でCG展「APE CALL FROM TOKYO」を開催。米国駐在を経て、96年にグラフィックアーツラボ「GALA」を開設。98年から文化財の保護継承にとって必然のアーカイブとその活用に邁進。奥窪は、2008年大学院を修了し入社。企業の広告やVI 企画などに携わる。異動を機に、文化財を通しクリエイティブの根源である人類の感覚史の再体現に挑戦中。
VRコンテンツ
「ViewPaint: フェルメール《牛乳を注ぐ女》」
私達は、1997年から文化財の情報展示を目的にVR技術の開発に取り組み、「唐招提寺」「運慶仏」「アンコール遺跡」など文化財のVRコンテンツの製作を続けている。文化財をデジタルアーカイブし、更にVR技術を用い可視化したVR コンテンツは、自在な鑑賞や往時の姿を蘇らせる等して文化財を身近にする。同様の技術を使った「ViewPaint」は、絵画のアーカイブデータを作家特有のタッチを損なうことなくすべてのモチーフを三次元化し、ディスプレイに表示する。鑑賞者は、描かれた空間の中に入り込んだかのようにインタラクティブな鑑賞や空間体感が出来る。「作家がなぜこの構図を選んだのか?」「描かれているモチーフは?」「描かれた時代背景とは?」など、絵画への理解や想像を後押しする。
「デザインを分けない。どんな領域でも活躍できる人材を育てる。企画・構想力と全方位のデザイン力を学ぶ。」と学科紹介がされている。理系志望の私の心変わりは、言葉は違ったがこの理念だった。講義で印刷の魅力を教わり、私は印刷会社に入社する。技術習得から始まった仕事は、デザイン手法も含めデジタルに移行する時代へ、そして最終メディアもデジタルに向かった時代、更に通信が加わった新時代と、変化をした。その中でコミュニケーションの有り様も変容する。何が人と人、人と物、そして人と場を繋ぐのか。様々なメディアを使うマルチプラットフォームの時代、多様な知識と表現が大切になる。更に避けられない「グローバル」という領域をどう学ぶか、そういったリテラシーを育むプログラムも期待する。
1952年福岡県生まれ。3年間植木職の修行を積み、造園設計会社を経てエービーデザイン株式会社を設立。個人や集合住宅の庭をはじめ、住宅開発、商業空間など植物の力を活かした心地よさを求めたガーデンデザインを実践し、また環境共生住宅やまちづくりプロジェクトにも積極的に取り組み、教育機関や企業研修セミナーの講師も多い。これまでの経験を生かしてガーデンデザイナー養成塾を主宰し、後進の育成にもつとめている。NHK「趣味の園芸」出演やJAG( ジャパンガーデンデザイナー協会) の会長を長年勤めガーデンデザイナーの職能の確立を目指すとともに、環境としての庭のあり方をつねに問い続けている。著書に『正木覚のここちよい庭づくり』『ナチュラルガーデン樹木図鑑』など。
私が卒業して以来、ずっと関わって来たガーデンデザインの世界を一本の水槽の中に小さな庭として表現してみました。基礎デザイン学科に在籍中から取り組んでいた環境保全や住民運動の活動から庭づくりの世界に飛び込みました。卒業から15 年後、私が手掛けたガーデンの商品開発プロジェクトがガーデニングブームを起こすきっかけになりました。それ以後、私はガーデニングショウ、環境共生住宅、まちなか緑化事業など、「植物と人の関わりの空間」のデザインをしてきました。今回、「植物と暮らす」心地良い世界を共有出来たらと思っています。
今でこそ、ガーデンデザインは世の中で認識されていますが、私が基礎デザイン学科に在籍していた頃は庭づくりがデザインの対象と考えられていませんでした。ましてや私が当時、関わっていた環境保全や住民運動の活動自体がデザインワークとして評価される事もありませんでした。しかし、その後、庭文化が大衆化され、ガーデニングブームがやって来るにはデザインの力が必要とされました。日本で初めてのガーデンの商品開発では基礎デザイン学科で学んだコンセプトワークが大いに役に立つ事になったのです。
1976年、基礎デザイン学科卒業。1981年、グラフィックデザイン制作を目的としたRENデザイン研究所 設立。1983 年、アナログ時代に「東京ディズニーランド」公式ガイドブックのデザインを担当。表紙制作ではレイアウトスキャナー(現在のフォトショップ)の使用に恵まれる。デジタルデータの高いクオリティを実感。1993年、RENデザインはMacを導入、デジタル化へ移行する。1998年、Photoshop5.0 にDCS2.0 形式がサポートされスポットカラーが容易に扱える様になり仕事の幅が広がる。カレンダーのクライアントが国内外のインキメーカーであることは、数々の印刷方式、新しい印刷システムを体験でき現在に至る。
2011年: T&K TOKA「SEE」
オフセット印刷+グラビアフィルム印刷の組み合わせ。
2010年: T&K TOKA「COLORS+」
パールインキ+インラインのコールドフォイル+UV印刷+UVニス。
2009年:T&K TOKA「海の中の小さな世界」
パールインキ+インラインのコールドフォイル+UV印刷。
2008年: T&K TOKA「UV FLEXO & ROTARY SCREEN」
フレキソ樹脂凸版の濃度感とスクリーンニスの厚盛り印刷。
2005年: CEMANI TOKA「PLAY THE GLASS」
ヘキサクロムを発展させた印刷システム。
1998年: CEMANI TOKA「COLORFUL 365」
パントン社のヘキサクロムで制作。RGB色域を6色(CMYKGO) で再現。
かつて、印刷業界の重鎮と言われていた人から「良いグラフィックデザインは印刷・加工でトラブルを起こさないデザインです。」と言われた。しかし、私の仕事は真逆である。印刷インキの新製品や新システムでの印刷はトラブルを積み重ねた上に成り立っていく。トラブルをチームスタッフと共に乗り越えイメージを追求することは楽しいものでもある。今はソフトウェア、ハードウェア共に世界標準化され、デジタルデータは各国で送信・受信が可能となり一定レベルのクオリティーで何処でも出力し印刷できる時代になった。結果、欠点はないが画一的な印刷物が席捲する。個性ある魅力的な製品創りが難しい環境ではあるがイメージに標準化はない。トラブルを恐れずデザイン力で打開して欲しい。
1977年(株)SPA(セールスプロモーション・エージェンシー) 入社。主に(株)西友ストアーのPB(プライベート・ブランド)商品のパッケージデザインに携わる。田中一光氏プロデュースのもと、西友ストアーの「無印良品」の立ち上げに参画。1982 年株式会社アモウディレクション設立。企業コンセプトは、「クライアントと生活者の接点を豊かに結ぶ」。商品企画、パッケージデザイン、セールスプロモーションの仕事を中心に、ブックデザイン、グラフィックデザイン、Webデザイン等を手がけ、現在に至る。
今回の展示は、1977 年から2014 年に制作した代表的なパッケージデザインです。
パッケージを開発する時に考慮することは、大きく分けて4つの点があります。
1. 商品らしさ 2. その商品の魅力を伝える 3. 心に残る形象 4. 好感度を持たれる
以上は、売れるパッケージが満たすべき最低条件であり、同時にこれはパッケージデザインの評価軸にもなります。パッケージのデザインは、企業と生活者を繋ぐ作業です。企業が伝えたい思いが生活者と共感され、企業と生活者が互いに良い関係になることがパッケージデザイナーとしての喜びです。
商品の顔、パッケージデザインは、多くの要素が凝縮されています。社会の流れ、消費者の思考、消費の動向、商品の置かれたマーケット状況、陳列効果、消費者の心理学的分析、広義に捉えた哲学等。またデザイナーはクリエイターとしてだけでなく、生活者としての感覚を磨くことも大切です。そのためには様々な分野にアンテナを張ること。楽しみ、感動すること。単にパッケージの表面デザインでなく、企業が求めるものを超えて、常に生活者との関係性づくりの視点から取り組む、プランナーの姿勢が必要です。
1953年富山市生まれ。1978 年基礎デザイン学科卒業後渡英。1979年1月Royal College of Artに入学。1981年7月、同大学院修士課程を修了。同年帰国し事務所を開設。1982年、株式会社ホライゾンD&P を設立。1986年有限会社長澤忠徳事務所代表取締役となり現在に至る。1987年Design Analysis International Limited(本部ロンドン)設立、日本代表(1992年まで)。東北芸術工科大学創立に伴い1993年より情報デザイン学科助教授、1999年、武蔵野美術大学デザイン情報学科創設に伴い教授として着任。2015年4月より同大学学長。2016年7月、永年の国際貢献によりRoyal College of Art シニアフェローとなる。
1988年に出版した唯一の書き下ろし『インタンジブル・イラ デザイン=情報化社会への理解力』は、到来しつつあった情報化社会を読み解こうとRoyal College of Art での「図」の研究で得た「タンジブル/ インタンジブル」というキーワードで、基礎デ時代から始まり帰国後10年間を経たデザインの思索をまとめたもの。以来、今日に至る自分のデザイン哲学と実践、教育姿勢の原点である。また、ジャケットは、1978年、英国留学の餞別にと、杉浦康平先生の今は亡き冨美子夫人に仕立ててもらった第一作目。帰国後、ご夫人のブータンでの逝去以来、このオリジナル・スタイルと母の創作によるクルタ様式のスタンドカラーの上着着用を今日まで続けている。
文明が情報化時代へと走り込もうとする1970年代後半、基礎デザイン学科での私の学びは、今の自分を支える「デザインを哲学する」日々だったように思います。その後、情報通信技術の驚異的な進化によって出現した21世紀高度情報化社会は、グローバル化の進展とともに、まるで技術文明が暴走し、どこかで常軌を逸したのではないかと思うほどです。これからの「デザイン」は、未来の技術文明と、脈々と続く私たちの生活文化との関係を、「創造的に調整する役割」を担う存在であってほしいと期待しています。その意味で、次代のデザインを担う人々には、日頃のデザイン実務の忙しさに かまけず、世界文明史観を自らの思索の根底に据えて「デザインを哲学」することも忘れないでほしいと願っています。
1956年群馬県生まれ。1979年通信販売のフレンドリー株式会社入社。貴金属、生活用品の商品デザインと新聞広告、カタログ制作。1986年フリーとなり主にロゴマークのデザインを行う。1992年株式会社ほんやら堂に入社。癒し・健康・美容をテーマにした生活雑貨の企画開発デザイン。癒しをテーマにしたおやすみ羊、5本指スリッパ等のヒット商品を企画デザインし、雑貨業界のトレンドとなる商品を発信してきました。2015年グッドデザインぐんま推進委員就任。2016年独立。商品企画デザイン提案と海外生産の提案を行い、企業から「出会えて良かった」の喜びの声が聞こえるよう活動しています。
おやすみ羊
眠りで悩んでいる方に心も身体もリラックスしていただくために生まれました。ふんわりとした優しい触り心地と眠りを誘うラベンダーの香り、気持ち良さそうに眠っている目。いつまでも気持ち良く使用できるように洗えるカバー式。ふんわりとしたカバーを取り外すとまるで毛を刈られた羊のようになるのも人気の要因です。発売以来、1000万匹以上の羊がお客様を癒しています。
5本指スリッパ
一日中パンプスを履いて頑張っていた女性の為に、足指を広げてリラックス。雑貨で足指セパレートが売れていた時に、スリッパメーカーの展示会でふんわりとした気持ち良さそうなスリッパと出会い、この二つをかけ合わせて生まれたアイデア商品です。
生活雑貨のデザインを20数年行ってきましたが、在学中幅広い分野で学べたおかげでどんな分野のデザインでもまったく抵抗なく行えたことは基礎デザイン学科で学べて良かったことだと実感しています。
モノがあふれ成熟した現在、単にモノをつくっただけではお客様に共感していただけなくなりました。モノ・人・こと・それをとりまく環境トータルで考えられる幅広い視野で、ものごとをとらえることがとても大切だと思い、また、そこから新規的なものが生まれてくることを期待しています。
子供の頃、絵を描くことも美術館で観ることも好きだった。高校時代に思いがけず森鴎外の感想文を大勢の前で褒められた。クルマや建築も好きになった。手に職をと考えデザインを思い立った。産業デザイン振興会でデザイン誌『Design Age』の編集アルバイトをした。編集は面白いと思った。しかし三菱鉛筆のデザイン室に入社。デザインを実践できた。後に六本木のAXISの企画部に所属しデザイン誌『AXIS』の編集とギャラリーの企画を行った。初の美大採用というBMW Japanのマーケティング部に入社。広告宣伝とCI、ブランディングを担当。急激に世界が広がった。AXISに帰り様々な仕事をした。AXIS Font を世に出しApple本社に供給。また、独red dotデザイン賞の審査員を務めた。現在、石橋財団ブリヂストン美術館のクリエイティブディレクターとして新美術館の建築を担当。毎日奮闘中。
企業内デザイナーを含め、クライアント側、エージェンシー側も経験した。一貫したのはデザインしかできない人でなく、マルチタスクな人になること。これも基礎デの影響で、デザインジャンルを超えるだけでは満足できず、いつしかワークジャンルを超えることを目標にしていた。今回の展示物は基礎デの課題や過去影響を受けたもの、雑誌に書いたものなどバラバラであるが容器に放り込んだ。私の記憶と経験の断片である。参考まで3年前のポートフォリオも用意した。過去よりも今が大切と故オトル・アイヒャーは語っていたが、今はデザインからアートへと拡がり、美術館をつくっている。単に美しい箱や庭づくりではなく、運営から仕組み、展示システムに至るまで総合的なノウハウの集合体のため、基礎デ出身としてやりがいがある。2019年秋、京橋に開館。
基礎デザイン学科で学べたことは、在学中から現在に至るまで強い「自信」につながっている。これは基礎デの理念と実践もさることながら、従来のデザインや業界に対する基礎デの果敢な挑戦に「自らも参画している」ことがその源である。ただし陥りがちで自信過剰にならぬよう注意していることは、頭デッカチにならず、デザインで全てが解決できると過信しないこと。デザインとは、他との良き結合により意味をもたせることであり、実践にあたってはどこからボールを投げられても、優れたコトやカタチで打ち返す前向きな力が必要である。次の50 年に向けて、基礎デにはそれらもふまえ、生活や社会、過去や未来から投げられる変化球を見事に打ち返すべく、ユニークな道を進むことを期待している。
1981年卒。卒業後は、在学中より魅了されていた杉浦康平デザインの引力に引き寄せられ、同事務所にアルバイトとして入り込む。以来28年にわたって杉浦グラフィズムの薫陶を受ける。2009年の独立後はエディトリアルデザインを中心に活動。辞書の本文組からコミックまで、ほとんどの出版カテゴリーをフィールドとし、これからの紙の本の在りようを模索している。12年、全国カタログコンクール経産大臣賞受賞。13年、中国の民間芸術「花珠爛漫−庫淑蘭の切り紙宇宙」展を企画・構成。
ブックデザインというとカバー・本表紙・とびらといったいわゆる「表まわり」を依頼されることが多い。けれども私は、外側からは見えない内側(=内容)の表出がブックデザインであるとの思いから、機会が許せば書物の全体を設計することを心がけている。テキストをいかに魅力的に視覚的に演出するか、用紙の手ざわりやしなやかさ、そして印刷適性はどうか、本の重さはどれくらいか、資料性の高い本であれば180°以上開く製本形式は何か、印刷後の乾燥時間がどれほど取れるのでインクはどこまで盛り込めるかなど…。内容・技術のさまざまなことを思いめぐらせながら、著者や出版社・編集者、印刷・製本の担当者など本にかかわる全員が作って良かったと思える本、そして何より読者が手元に置いておきたいと思える本に仕上げることを目指している。
在学中は「基礎デ」って何?何するところ?と同級生で話し合い、自分たちのアイデンティティをさがしていました。時を経て社会が多様化し、さまざまな横断が起こる時代に「基礎デ的」なるものが求められていることを感じて、創立の理念の先見性に改めて感心しています。ただ、最近は「デザイン」ということばは、さらに多義的・多様化してつかみどころがありません。基礎デは、この状況を「基礎デ2.0」として快刀乱麻を断ち、「基礎デ的」なるメッセージを大いに社会に発信していってほしいと思います。
静岡県浜松市生まれ。卒業後、カーデザイナーを経て写真家に転身。1988年まだフォトショップもなかった 頃、CGアーティスト川口吾妻(現女子美術大学教授)とのデジタルフォトのアート作品D-graphyを発表。以来デジタルフォトの先駆者として、広告、エディトリアルのみならず、SIGGRAPH、IMAGINA、東京都写真美術館等国内外で、精力的に作品発表を続ける。代表作に「OPERA ARIAS」「東京天使」「TOKYO ARTISTS」等。現在、長岡造形大学視覚デザイン学科教授、ディジタル・イメージ運営委員、電塾運営委員、CG-ARTS協会委員。現職のまま慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科後期博士課程に在学中。。
A. Labyrinth(シリーズOPERA ARIASより)
川口吾妻とのコラボレーションによる、1988年デジタルフォト黎明期の作品
B. ロイ・リキテンシュタイン(シリーズTOKYO ARTISTSより)
1995年頃、東京在住や来京したアーティストのポートレートのシリーズから
C. 東京天使@お台場(シリーズ東京天使より)
誰の心の中にも、誰のそばにも天使は居るよというコンセプトの作品
D. 宝(AERA より部分抜粋)
和のお宝をテーマに撮影された作品
「デザインを分けない。どんな領域でも活躍できる人材を育てる。企画・構想力と全方位のデザイン力を学ぶ(基礎デサイトより)」のが基礎デです。私も学生時代、プロダクトもグラフィックデザインも写真も、幅広く研究をしてきました。私がカーデザイナー、写真家、美大の教員と、それぞれ違う分野の経歴を重ねてこれたのも、このように領域を横断的に基礎デで学んできたからだと思います。これから「モノ」から「コト」のデザインに変わり、ユーザーエクスペリエンス、経験のデザインが重要視されていく世の中に変わっていくでしょう。その時に「さまざまなデザインの原初的な意味を『コミュニケーション』として捉える(基礎デサイトより)」基礎デの果たす役割は、益々大きくなっていくのはないでしょうか?
1961年京都市に表具師の長男として生まれる。1983年基礎デザイン学科卒業。株式会社モリサワに入社。1992年アドビシステムズ株式会社入社。日本語デジタル・フォントの開発と日本語タイポグラフィ関連の技術開発に携わる。現在、同社Japan R&D、日本語タイポグラフィ、シニア・マネージャー。基礎デザイン学会会員、タイポグラフィ学会会長。文字情報技術促進協議会副会長。JAGDA 理事。ATypI会員(国別委員)。情報規格調査会 国際符号化文字集合(SC2 専門委員会)委員、2008年に本木昌造賞を受賞。
私が生まれたとき、基礎デザイン学科を卒業したとき、現在勤務している会社に入社したとき、そして現在。つまり、1961、1983、1992、2016年という年を、人生の時間軸上のキーポイントとして位置付けました。それらをつなぐ経路は直線的ではなく、偶然や不可抗力を含む種々の要因に影響されて現在に至っています。そこで、上記キーポイントとなる年の相互の時間間隔の比率に距離を合わせるようにして、異なる大きさの正方形を配置するプログラムを実行し、100回以上の試行を繰り返しました。その中から選択した配置に沿ってこれまでに私が行ってきた種々の事柄を記述しました。正方形の上に立方体を置き、それらの人生における年の重要性を暗示しました。
技術は進歩し、市場と産業の構造は変化します。変化に対応するには、デザインにおいても、合理的な最適解を探索することが必要です。他方、デザインという行為が、主観や偶然から自由であったことが今まであったでしょうか。人間の「合理性」には限界がありますが、その限界を自覚することが想像力の源泉ともなります。茶碗に描かれた風景を見て、渓流に遊ぶ遠い過去の文人達の姿を想い、微笑ましく思うことがあります。茶碗の絵が与える小さな幸福です。ここには矛盾があるように見えますが、むしろデザインが人間的な行為であることの証左ともいえます。人間は何を作るべきか。基礎デザイン学科による問いの継続を期待します。
在学中にエコール・デ・ボザールで学ぶ。基礎デザイン学科卒業後、研究室教務補助員を経てソニー株式会社入社。製品、ソフトウェア企画やGUIデザインを手がける。1994年より株式会社ジャイロ取締役。カメラ、カーナビなどの情報機器、心電計、CTスキャン装置などの医療機器のUI/UXデザインや小・中学生向けweb教材、タブレット教材などのデジタルコンテンツの制作を手がける。武蔵野美術大学基礎デザイン学科、東洋大学人間環境デザイン学科非常勤講師。主な受賞に1990年グッドデザインインターフェイス賞、2001年消費者教育教材優秀賞、2016年グッドデザイン賞など。
1989年、ソニーのmy first Sonyシリーズに、8ビットPCの技術を応用した、初めての子ども用専用機「グラフィックコンピュータ」が仲間入りした。デジタルデバイスを活用した造形活動にふさわしいインターフェイスはどうあるべきか、多くの子どもたちにリサーチをし、この製品が生まれた。テレビに機器をつないで映し、ボタンを押しながら絵を描く。当時の世界中の子どもたちに、デジタル表現の方法を伝える一つの手段となった。
時代は流れ、CPUの能力も飛躍的に向上し、64ビット端末全盛期を迎える。今年、私たちは、デジタルの新たな造形遊びを提案した。ビーズ型のパーツで構成したオブジェクトが絵本の中で動くという遊び「作れるえほん ピクニーニョ」である。準備された背景画と動きに自作のオブジェクトが合体することによって、新しい造形と絵本鑑賞のあり方を示すものと考えている。
「要はこういうことでしょ?」と言ってみせる。これがデザイナーの役割ではないかと思っている。クライアントの漠然としたイメージ、あるいは分厚い技術仕様書、あるいはまだ世の中にないもの、そういう混沌とした事象をじっくり観察し、人の話に耳を傾け、「つまり何をしなければならないのか」の解を探す。答えは誰も知らない。自分で見つけるのだ。そのために情報を整理し、カタチや色・動きや言葉で表現する。私が携わる分野は、私が社会に出た頃に始まり、目をみはるスピードで進歩を遂げた。そして今もなお先へ先へと進んでいる。しかし、どんなに技術が進んでも、基礎デで学んだ「本質を追い求める」という姿勢を持ち続けていれば、解を見つけることができる、と信じている。
グラフィックデザイナー。三重県生まれ。武蔵野美術大学基礎デザイン学科15期卒業。1985年 日本デザインセンター入社。1989年よりフリーランス。屋号はMAN STUDIO(マン スチュディオ)。2008年 東京から三重県四日市市に移住。30年近く離れていた故郷には初めて訪れる異郷の地のような違和感を覚えるが、同時にそのコミュニティの狭さに新鮮な驚きや愛おしさを抱く。「この街の行く末が少しでも美しくあるように」をテーマに、伊勢茶、萬古焼など地場産業や地元の食と関わりながら、東京の仕事も継続中。近年、県立図書館サインなど公共の仕事も始まる。2014年より三重グッドデザイン選考委員。
基礎デザイン学科50周年のハレの展覧会にふさわしい展示物を考案するにあたり、真っ先に頭に浮かんだのは、郷土の誇り、伊勢神宮である。3年前の式年遷宮をご記憶の方も多いと思うが、1300年前から20年に一度、お社や道具のすべてを新しく作り替えることで大切なものを後世に繋いできた。この「常若(とこわか)の精神」を表現したく、真新しい白木で神具を模した。基礎デザイン学科の精神が次の50年に向けて脈々と繋がっていくことを祈りながら。仕事は新旧取り混ぜ、東京と三重の物を半々で選んだ。デザインの神様に捧げる、私からのお供えのようなものを表現しようと試みたが、年数を重ねても、なお拙いグラフィックの数々を神様がどのようにご覧になるかを考えると震えが来てしまう。
中学2年でグラフィックデザイナーを志し、幸いなことに、その仕事を今も続けている。だが、学生時代の私は基礎デザイン学科の理念を理解していたとはいえず、社会に出て、デザイナーとして経験を積むうちに、ようやく先生方の言葉ひとつひとつが繋がっていったと思う。東京を訪れるたび、その勢いにたじろぐのだが、地方の過疎化は深刻で、行政にも焦りが見える。だが、閉じたシャッターに子どもたちの絵を描かせ、ゆるキャラを作り、なんとかなると思っている人々が私は嫌いだ。いかに着飾るかではなく、地元の資源や特色を別の切り口から見つめ直すことが、クリエイティビティの誕生に繋がる。相談を受けると遠慮なく、そう申し上げている。そんな視点も基礎デで学んだことのひとつだと思う。
グラフィックデザイナーです。主に本や雑誌などページ物の印刷物、文字の読みやすさにこだわった仕事をしています。1963年新潟県生まれ。86年基礎デザイン学科16期卒。在学中より中垣信夫氏に師事、中垣デザイン事務所を経て95年8月に独立。日本図書設計家協会正会員。独立後の代表的な仕事は今治市伊東豊雄ミュージアム開館記念展「新たなる船出」のポスター・カタログなどのデザイン(2011年)。単行本『生と死のイオタ』(伊藤俊治・荒木経惟)のブックデザイン(1998年)。PR誌『LIXIL eye』(no.12まで)のアートディレクション(2012-16年)。在学時より杉並区阿佐谷に居住し35年を越えました。芸術と音楽と落語と中央線を愛し酒場をうろつきます。
小冊子『はじまるようではじまらない、でもはじまっている』(A4 並製、本文82頁) は「タマのカーニヴァル」の報告書です。わたしはこのイベントを写真で記録することと、ポスター、チラシなどのグラフィックデザイン、そしてこの冊子のデザインを担当しました。展示ではこのイベントと最終的にこの報告書のかたちに至る経緯を解説しています。
「タマのカーニヴァル」は多摩地区の小・中学生100人を公募し、2013年7月より半年にわたり行われた、音楽・ダンス・楽器作りなどの18回のワークショップと2日間の成果発表、いくつかの関連イベントの総称です。企画・制作のNPO法人アートフル・アクションの事務局長を務めるのは同じ16期卒業の宮下美穂さんです。
窓辺のレモンの鉢植えに芋虫を発見。幼虫からさなぎ、そして羽化して蝶に変化する様はたいへん劇的で、メタモルフォーゼという言葉の響きに違わない神秘を感じます。しかもムダがなく、それゆえか美しいかたちに思えます。メダカも飼っています。個体数、水草の勢いや種類、水の量と交換する頻度。鉢全体の景色が良いように思うときは、これらの調和がとれているときのように思います。話変わって、ご近所、人間界の話。同じ建物に外国のかたが住んでらっしゃるのですが、なかなかうまくコミュニケーションがとれない。なんとかゴミ廃棄のマナーを守ってもらいたいのだがうまくいかない。これをデザインの力で何とかしたいと考えている今日この頃です。
基礎デザイン学科在学の4年間は「デザインとコンピューターとの架け橋となる人材」を志すきっかけとなり、卒業制作では武蔵野美術大学初となる三次元コンピュータグラフィックス(レイトレーシング技術)を制作。未来のダイヤグラム表現の可能性について「立体グラフ」として8bitパソコンで映像化した。卒業後は印刷会社アートディレクター職、NHK美術センター、日本放送協会CG制作室スタッフを経て、NHKスペシャル「驚異の小宇宙人体Ⅱ:脳と心」「生命:40億年はるかな旅」シリーズなどの3DCGやペイント・グラフィックスを制作。その後、富士通株式会社入社。現在クリエイティブ・ディレクターとして、主に富士通クラウドサービス、プロモーション企画、Webアプリケーション開発、SNS活用戦略、マルチデバイスソリューションなどを推進。「デザインとコンピューターとの架け橋となる人材」というTHEMEは今でも変わることはない。
Season1:Art Director
川村記念美術館様の設立プロジェクトに参画、印刷媒体ディレクションを担当。建築家や造形家、学芸員と連携し、図録、B全ポスター、中吊り広告、入場券など
の企画とデザインを制作。川崎製鉄様と共に印刷技術を用いた極薄ステンレス製カレンダーを開発。プロモーションほか
Season2:3DCG Creator
「驚異の小宇宙人体: 脳と心」1993年、世界で始めてニューロンの撮影に成功、細胞の形状や内容物、伝達物質の流れまで忠実に3DCGで映像化。出演は養老孟司、樹木希林。
Season3:3DCG Creator
「生命:40億年はるかな旅」1994年、時はジュラシックパークの公開時期。細胞の誕生から、恐竜絶滅、人類の進化の道筋を、ハリウッド水準の映像でお茶の間に…というリクエストから制作は始まった。出演は宇宙飛行士の毛利衛。
Season4:Creative Director
IOTの活用と実現を目指すための、実践デザイン手法のご紹介。「デザイン・イテレーション」「エクスペリエンス・デザイン」ほか
私がコンピュータグラフィックスを開始した1982年頃、基礎デザイン学科では「コンピューターがデザインに関わることはない」というのが、当時の印象だった事も有り、私の未来を案じて頂いた教授からは「コンピューターなど止めなさい」とのご指導や、別の教授からは「はじめてみては如何ですか?」ともご助言頂いた。スタートはとても曖昧なモノであったが、センスという紛らわしいものよりは遥かにわかりやすいモティーフだった。ただ、今思えば、これができたのは正に基礎デザイン学科だからこそ!だったかと想う。
現在、デザイン業界の見えづらい変化の一つとして「広告」というモノが、ITやSNSの普及により、形を変える必要性に迫られている。TVCMのコンタクトポイント機能の劇的な低下に反比例し、SNSなどでの動画視聴率や人々の間でかわされる情報や体験共有は、国内だけでも数百万、数千万のレベルで利用され、視聴されている。つまり、情報を「広告」という美しい包装紙にくるんで、人々に届けて差し上げる時代から、情報は人々の間で「自由に集め、共有できる」時代となっている。人工知能で製品デザインなんて話も垣間見る。現在は「そんなことありえないよ」が、その後どうなるかは…実は人の手に委ねられるものだ。基礎デザイン学科はそんな事も追求できる学科であってほしいと願う。
外資系広告代理店2社25年を経て、現在は、国内広告代理店のクリエイティブ・ディレクター。約30年間、国内外の顧客と共に、市場の顕在化していない欲望の発⾒から、戦略開発、そして、TVCM、グラフィック、Web、インタラクティブなど、キャンペーンの企画、製作まで一気通貫で担当させていただいています。最近は小学生とのワークショップなども楽しくさせていただいています。
受賞歴(ファイナリスト含む)は、カンヌ/クリオ/ワンショウ/ニューヨーク国際広告賞/IBA/スパイクス/ロンドン国際広告賞/デジタルアジア/ACC/ADC/ギャラクシー/⽇経広告賞/⽇本産業新聞広告賞/⽇経流通新聞広告賞など。審査員経験(Web審査含む)は、ロンドン国際広告賞/ニューヨーク国際広告賞/釜⼭国際広告賞/AC公共広告機構など。
私の姿のかけら。
今まで私が制作した広告の一部を使って、新たにAIが創った私の一部。
私の時のかけら。
今まで私が制作した広告の一部。
The few pieces of my face.
The partial portraits of me created using AI,
utilizing some of the ads that I have created up to now.
The few pieces of my time.
The partial portfolio of mine.
まず基礎デの名前を変えましょうか!笑。英語のScience of Designが実感を伴っていて良いかと思います。大学3、4年⽣の時に、インダストリアルデザインと広告を選択しました。当初は⾃分で⼯業製品を創り、その広告やグラフィックも⼀気通貫で創りたいと考えただけでしたが、後に社会⼈になり、2つの授業を取ったことでモノに対する意識が変わっていることに気づきました。その商品がなぜ⽣まれたのか?どう伝えるか?という「商品のブランディング」はもちろん、⼈々の⼼の中に隠れている「インサイト」=「顕在化していない欲望」の発⾒が大切で、これが、すべての源だと思うに至りました。基デには、デザインやコミュニケーションを俯瞰して、学⽣たちの意思で⾃由⾃在に繋ぎあわせ可能な、⾃分で1+1=∞に出来るカリキュラムを続けて欲しいですね。
1965年生。神奈川県出身。1989年3月基礎デザイン学科卒業。1989年4月キリンビール株式会社入社。入社から現在まで一貫してパッケージデザインを担当し、キリンビール製品のほぼ全パッケージデザイン制作に関与。現在マーケティング部商品開発研究所デザイングループ・主査。主な業務内容はビール・チューハイ製品等の新商品やリニューアルデザイン制作全般のマネジメント。具体的にはデザイン制作依頼先選定、オリエンテーション、プレゼンテーション案評価、デザイン案選定など。趣味は読書(愛読書は『コインロッカー・ベイビーズ』村上龍著)、ゴルフ(月1回ラウンド×25年)、美術鑑賞(瀬戸内海の直島をこよなく愛す)。
1989‒2016年のキリンビールブランドパッケージデザインを表現した立体作品で、高さ75cmx幅63cm(什器設置部は42cm)。金属とアクリルパネルによる構造体です。
2016年時点の各種缶デザイン分版をアクリルパネルに転写し階層化したオブジェ。1989年以降の主だった製品のパッケージデザインに関するプリントペーパー。これらを金属フレームに取り付けました。デザイン制作は社外デザイン会社への依頼によるものであり、多くの優れたデザイナーの方々への感謝の気持ちも込めています。また、KIRINパッケージデザインは常に変化し動いていることも表現しているためタイトルは“KIRIN DESIGN SCREW”としました。
テクノロジーや経済のメカニズムに画期的な進展が期待しにくい現代、それゆえにデザインは社会を動かす大きなファクターの一つになったと感じます。その一方PCを使えば誰でもちょっとしたDMやフライヤーを制作でき、グラフィックデザインに限らずプロとアマチュアの違いは不明瞭になりました。しかし本当に社会を動かすのはある一定の質を有すデザインだけであり、プロフェッショナルなデザイナーの一部の方々によるものでしょう。基礎デザイン学科は“Science of Design”という明快なポリシーを掲げる個性的なデザイン学科。そこで「学術的」な視点と「横断的」な感性を獲得しえた卒業生はデザイナーとして、多種多様に社会を動かしているものと想像いたします。
松下電器産業株式会社デザイン部入社(現パナソニック株式会社)/大阪芸術大学デザイン学科プロダクトデザインコース教授/三重大学大学院地域イノベーション学研究科博士後期課程修了博士(学術)
受賞歴:優秀論文賞(IWRIS2015)/日本機械学会教育賞(2013)/日本グッドデザイン賞入賞 ホビーロボット「バリボ」(2008)(他Gマーク多数受賞)/抱きしめたいロボット!コンテスト銀賞(2007)/国際デザインコンペ(財)国際デザイン交流協会 銀賞、銅賞(2006)、グッドデザインひょうご産業ビジネス部門大賞(2006)、入賞(2004)
著書:『ロボティクスデザイン』(美術出版社)、『ロボティクス』(日本機械学会)
採択研究:科研費 挑戦的萌芽 23650114 H23-24/基盤研究B 25282007 H25-27/基盤研究A 16H01804 H28-32
学習用2足歩行ロボット「VariBo-ND01」ビー・エル・オートテック株式会社/価格147,000円/2007年12月11日発売/デザイナー:中川志信・細見有亮/グッドデザイン賞受賞/グッドデザインひょうご産業ビジネス部門賞受賞
子供を惹き付けるデザイン。手足が大きく長く、筋肉質で引き締まった10頭身のロボットらしい躍動感のある骨格構造は、理科離れの子供達にロボット工学の楽しさを伝えるにふさわしい明快さがある。
書籍『ロボティクスデザイン』美術出版社/2012年3月28日発行/著者:中川志信
21世紀のプロダクトデザインには、造形だけでなく動きや音に加え、それらを統合演出する総合芸術的デザインが必要とされる。本書では、様々なロボットの開発事例を通してプロダクトデザインの新たな理論とプロセスを紹介している。
基礎デで修得し役立っている技能は、次の2つです。「問題の本質を射抜く力」と「具体的な解決を提示できる力」。これがデザイン力と考えます。学生時代はデザインスキルに重きをおかない基礎デの教育に不安を感じましたが、社会に出ると杞憂であったと理解しました。企業でのインハウスデザイナー、大学での研究者というキャリアを通して、どうしたらできない状況から抜け出せるかという探究心や、常に新たな知識に更新する向学心が創造には重要と理解しました。21世紀のデザインはテクノロジーの進化で劇的に変わります。どんな状況下でも新たなデザインを創造し続ける人材を輩出する基礎デであってほしいと思います。
色彩計画家/カラープランニングコーポレーションクリマ取締役
基礎デザイン学科卒業後、日本における環境色彩計画の第一人者、吉田愼悟氏に師事。トータルな色彩調和の取れた空間・環境づくりを目標に、建築の内外装を始め、ランドスケープ・土木等をつなぐ環境色彩デザインを専門としている。色彩の現象性の探求や造形・空間と色彩との関係性の構築を専門とし、武蔵野美術大学基礎デザイン学科・静岡文化芸術大学にて非常勤講師を務める他、近年は景観法の策定に併せ、全国各地で策定された景観計画(色彩基準)の運用を円滑に行なうための活動(景観アドバイザー・景観審議会委員等)にも力を注いでいる。
「色は難しい、結局好き嫌いだから。」「色はセンスだから、自分には怖くて選べない。」
―社会に出て、様々な領域の方々に出会い、最も多く耳にしたセリフである。基礎デザイン学科で学んできた色彩論は、目の前で起こる色彩の相互作用(=現象性)をひたすらに経験し、そこから見出される色と色の間で起きている事象を読み解き、再構築するというものであった。まず色を、そして色と色の間を見ること。
このとてもシンプルな作業が、一般化されていない(できていない)ことに驚き、戸惑ったことも少なくない。ごく基本的な「対比」や「同化」、そして「調和」。この3つの要素を、出来るだけ少ない色数で体感するためのツールを作成した。小さな発見の積み重ねに役立てたい。
たかが色、されど色―。社会に出て26年、実践の中で何度もこの言葉を噛みしめてきた。日本で、世界で繰り返し起こる様々な災害や紛争。そしてインターネットの普及による情報化は、デザインの意味や価値を揺さぶり続け、社会のあり様を変え続けている。行き場のない矛盾と刹那を抱え実務と向き合う中、自身の知見が「縁あって出逢う人たちの役に立つかも知れない」ということが、今の自分を支えている。知識と経験を貯え、手法や理論が古びないよう、常に新鮮な空気を注いでいくことを意識している。ちなみに自身は大変出来の悪い学生だったが、それでも「これ(かも知れない)」というデザインの理念に出逢い、とにかく深く潜り続けた。結果、何とか今を生きられている(かも知れない)。
1992年基礎デザイン学科卒業。クリエーターズグループMac、大広インテレクトを経て2002年グランドデザイン東京(旧ホノルルインク)設立。2008年に上海、2014年に香港ブランチ設立。その他同級生の木下謙一氏とRaNa Grandを東京と上海に設立。
受賞歴にNY ADC賞 GOLD 、BRONZE、DISTINCTIVE/ブルノビエンナーレBRONZE/PENTAWARDS BRONZE/広告電通賞/日経パッケージデザイン賞など。
専門分野はブランディングとプロモーション。ブランディングの仮説からプロモーションを設計、マスメディアに依存しないコミュニケーション展開を得意とする。月の1/3 は海外、移動距離は伸びる一方。東アジアで一番のクリエイティブラボを目指している。
“Moving” Makes a Big Idea.
移動は面倒である。
可能なら一点に座して宇宙を彷徨う僧侶のようでありたい。だが我々は仕方なく移動をする。時には必要に迫られ遠く海外まで。しかも繰り返し何度も。
すると奇妙な現象に気づく。良質なアイデアが生まれるのだ。それは一点を見つめ移動したときに対象物が変化をする様に似て、ある場所で見えなかった思考の側面が別の場所で見え始める。それは重要な気づきになりその気づき起点でアイデアは豊富に生まれることになる。
これからバーチャルとリアルが融合を始めると、我々は一点に滞在し全てを知ろうとする人と、それでも激しく移動し続ける人に別れるだろう。どちらが良いか私は知らない。ただ私は移動が生むアイデアに惚れている。
協力:SONICJAM 村田 健/Lithmatic
デザインの可能性については楽観論が多数だが、私はそれには否定的である。これからしばらく世界は技術によって牽引され、デザインは徐々に出る幕を失う。なぜならこれまでデザインは常に対象物を必要とし、3Dにせよ2Dにせよその対象物は数十年の安定したニーズがあって初めてデザインは熟成・昇華するための十分な時間を与えられていた。しかしシンギュラリティを迎える2045年まで加速度的に世界は変化し、いま新しいものは次のものに取って代わられ、絶対に見えたものすら一掃されていく中で、今後どんな媒体物の中でデザインは熟成を迎えることができるのか、誰が想像できよう。確かにデザインを必要とする範囲は広がるが、その多くはA.I.によって為され、人がデザインをする範囲は特殊な領域に限られる。しかれば基礎デザインは今こそデザインを横断し、その普遍的な上位概念を定義し、媒体に依存しないゼロ・イチを生み出すデザイン理論を提示して欲しい。
1993年3月基礎デザイン学科卒業。1993年4月株式会社岡村製作所入社。開発本部製品デザイン部にて、主にワークステーションやフォールディングテーブルなどオフィス家具の製品開発に携わる。近年は、病院向け家具の製品開発を主にデザイン活動中。グッドデザイン賞、iF Design Award、red dot Design Award、 German Design Award、universal design award 等、受賞。JIDAデザインミュージアムセレクション2013「スマートナースカート Karre」選出。
「使う人」の為のデザイン-看護師さんの使いやすい「かたち」を考えたとき、患者さんの安全・安心を守る「かたち」にたどり着きました。正しい操作方法を知っている看護師さんだけが操作しやすい上下レバーにすることで、患者さんが勝手に高さを変え、滴下速度を変えるなどの医療事故を防止できるよう配慮しました。これはアフォーダンスを目指すモノのデザインでありながら「させない」ことをデザインした「逆アフォーダンス」の概念として新たな試みでした。また、手早く片手で点滴が掛けられるリングトップや、介助者と患者さんが一緒に握れ、且つ荷物置きにもなるハンドルなど、随所に「看護師さん」「患者さん」への想いが具現化されています。
基礎デザインって何?と思いつつ入学した20数年前…とある授業で聞いた「Science of Design」という言葉が強烈に印象に残りました。卒業後、プロダクトデザインの世界に身を置き、様々なデザインをする中、基礎デ時代に培われたこのデザイン思考は今も日々の仕事の根底に脈々と流れていると思います。新たなデザインを生み出す時、取り巻くモノ・コトの関連を俯瞰的に捉え、その重なりを見つけ、また結びつけ再構築する…この行為がデザインであり、まさに「デザインを科学」することなのだと改めて感じ今を過ごしています。
1971年、岡山県生まれ。基礎デザイン学科卒業後、同大学院造形研究科基礎デザインコース修了。九州芸術工科大学大学院芸術工学研究科博士後期課程修了(芸術工学博士)。東西大學校(韓国・釜山)デジタルデザイン学部助教授を経て、現在、武蔵野美術大学造形学部デザイン情報学科教授。インタラクションデザイン、メディアアートの研究制作のほか、色彩心理学、デザインの基礎教育の研究を行っている。論文:「旋律に対する視覚要素―旋律の構成要素別による視覚化および情緒反応の研究」『芸術工学会日韓国際論文集』21号
1999年、『かたち・機能のデザイン事典』丸善/2011年(共著)。『かたち・色・レイアウト:手で学ぶデザインリテラシー』武蔵野美術大学出版局/2016年(共著)
『かたち・色・レイアウト:手で学ぶデザインリテラシー』武蔵野美術大学出版局/2016年
現在、武蔵野美術大学デザイン情報学科の1年生を対象に行っている4週間の集中演習「デザインリテラシー」の授業を1冊にまとめたもの。本書は、同授業の非常勤講師小西先生と江津先生と共に原稿を書き、知覚心理学・認知心理学から紐解くグラフィックデザインの基礎で、パソコン抜きではグラフィックデザインが語れないこのご時世に、あえて手作業で学ぶことで、視覚の特性と実寸感覚を養うことを中心に展開している。私自身が25年前に基礎デザイン学科で学んだ「デザインと科学の統合」は、高度情報化社会になって、より重要視しなければならないことに気づくことができた。
基礎デザイン学科50周年おめでとうございます。基礎デザインは英語表記で「Science of Design」となっています。「デザインの科学」とは何か?少しでも明快に回答するならば、様々な分野に横断するデザインの諸問題を理論的に解析し、解決・提案することだと考えています。コンピュータが高度化し人工知能も一般社会に活用されはじめた現在において、あえて人間の思考とは何かという根源的な問題が問われています。そのことは、私が基礎デザイン学科で学んだ認知心理学の観点から芸術・デザインを読み解く姿勢とも通じていると感じていて、最先端の技術よりも、生活世界の根源的な部分に焦点を当てる学科の教育理念は時代を経ても色褪せることがないと考えています。
デザイナー。東京都在住。金沢生まれ・川崎育ち。基礎デザイン学科卒。株式会社ソニー・クリエイティブプロダクツにて、キャラクター商品の企画制作・デザイン、株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメントにて、音楽・アーティストサイトの企画制作・運営等を経て、2004年よりフリーランスに。日用雑貨・文具・玩具・絵本・幼児教材など、主に子どものモノ・子どもと一緒に使うモノ・贈るモノ等のデザインを手がけています。「コド・モノ・コト」「てぬコレ」「かみみの」等のデザインプロジェクトに参加。美濃のシイングとともにペーパーレーベル「よしよし」を展開中。母・のぐちみつよ(布の絵本・遊具作家)と展示・創作活動をしています。www.yo-happy.com
どうぐのカタチの「キリヌキこくばん」はこべるこくばん・あそべるこくばん・たのしいおうちのでんごんばん
コドモと一緒の暮らしを考えるプロジェクト「コド・モノ・コト」の2007年の展示会に出展し、制作販売しています。たべる・でかける・くつろぐ・かたづける。そんな暮らしの場面を思い浮かべて、フライパン・カバン・ウクレレ・バケツのカタチに黒板を切り抜きました。(トランク・エホンは後に追加。)道具の影のようにそっと家の中に馴染んだらいいなと色は黒に。小さい子でも持ち運べるサイズに。遊ぶ道具としても伝える道具としても使ってもらえたらうれしいです。今回は、自分にとってとても大切な一歩となった「キリヌキこくばん」にて、卒業から22年間の仕事や活動をお伝えします。
卒業後、22年間デザインの仕事をしてきた中で、未だに「自分は○○デザイナーです」と言えません。この「○○(まるまる)」の中にしっくりと当てはまる言葉が思いつかないのです。ある時、そんな話を友人にしていたところ、その横で聞いていた友人の小学生の娘さんが、ぱっと顔をあげて、「○○(まるまる)デザイナーでいいんじゃない?」と言ってくれました。なんだか腑に落ちました。そうか、それでいいのかもって。まさに基礎デザイン学科の<デザインを分けない>という学びにも通じて、ひとつのカテゴリーに属して考える必要はなく、ただただ暮らしの中での気づきに真摯に向き合ってデザインに携わっていけたらよいのかなと思っています。
1972年北海道小樽市生まれ。卒業後、北海道にてフリーとして活動。2003年より主に福祉用具のデザイン活動へ。2004年 ヴィレンス・シュタルク福祉用具デザイン研究所(旭川市)を設立、現在に至る。2006年 黒龍江省哈爾濱市において実施の「寒冷地における高齢者等対応建築改善計画」に講師として旭川市より派遣。2008年より車いすカーリング関連用具等の開発に携わる。
卒業後の仕事を総括するものとして、いま取り組んでいるものをベストに示すことが自ずとそれを表すことになると考え、現在進行形で携わっており、既にライフワークとなっている、車いすカーリングに関するものを展示致します。
ディスプレイに流れているのは、映像内容の監修・アートディレクションを担いました、車いすカーリングの普及・解説を目的としたプロモーションビデオです。後ろの支柱先端に設置されているものは、この競技で使用される、デリバリースティックと呼ばれる用具のヘッド部分で、現在開発中の実物大試作モデルです。基礎デザイン学科の最大の特徴である、領域を横断するデザイン教育の理念を受けた者として、それを端的に具現化されているものを取り上げました。
展示協力:日本チェアカーリング協会・映像観覧社
基礎デザイン学科で学んだことが、人らしく生きるための基礎づくりでもあったのだということを、社会へ出て折に触れ再認識させられておりました。また、地方で活動する者として、広範なデザイン領域を学べたことは感謝に堪えません。各地域・地方それぞれのデザインリテラシーを上げることが、日本におけるデザインレベルの底上げに繋がると信じておりますが、特定の専門分野に対応できるだけでは未だに厳しい現状にあります。それを担うには、やはり広範に渡る領域に対応できる能力が必要であり、その意味においても基礎デザイン学科の教育理念を受けた人材は地方にとって非常に貴重な存在と言えます。そのような対応力の優れた“人”を今後も育成、輩出して頂きたく、よろしくお願い致します。
立命館大学経営学部教授、立命館大学DML(Design Management Lab)チーフプロデューサー。
1997年基礎デザイン学科卒業後、デザイン事務所勤務、基礎デザイン学科研究室教務補助員、デザイン情報学科研究室助手を務めた後、東京大学大学院学際情報学府修士課程に進学・修了。修士(学際情報学)。その後本学通信教育課程非常勤講師を経て、2005年福山大学人間文化学部専任講師、2007年立命館大学環境・デザイン・インスティテュート准教授、2012 年同経営学部准教授、2014年より現職。2015年度ミラノ工科大学DIG(Dipartimento di Ingegneria Gestionale(経営工学研究所))客員研究員。専門はデザイン論、デザインマネジメント、デザイン教育。2008年度グッド・デザイン賞受賞(「東京大学情報学環・福武ホール」)、2010年度学校法人立命館教職員評価・報奨者。
デザインをひとつの場所に閉じ込めず、いろいろな研究領域のもとで「アカデミックで実践的な研究」として成立させるべく旅を続けています。これまで、教育工学・学習科学・認知科学・情報学・看護学・メディア論・経営学などのフィールドで、専門的な「研究」として認められる「デザイン」の考え方を浸透させるべく足搔いてきました。
本展示は、その道程とこれまでに得たほんの小さな成果としての研究論文をお見せするものです。それは言い換えれば、「社会におけるデザインの認識の狭さ」とその居心地の悪さに対する、ドン・キホーテにあこがれた小心者のささやかな抵抗と闘争のプロセスとも言えます。「専門領域を持たないことがデザインの専門性である。」いつか胸を張ってそう言いたい。未だ旅の途中です。
これまでデザインに関係・関心がなかった分野に、デザインの重要性が認識され、一般的にも単なる色・かたちの操作にとどまらないデザイン概念が浸透しはじめているのは、基礎デザイン学科の理念の大きな成果であると思います。一方で、このようにデザインが民主化・一般化したことで、デザインをよく知らない/専門性を持たない人たちが、デザインを実践し、それを社会に発信・流通させる機会も増えました。そこにデザイン本来の意義を十分に活かしきれていない低質・悪質なものが増していることを私たちは看過できません。このような事態を批判的に検討し、これからの社会におけるデザイン教育の意味・意義とその実践方法を再構築すべき役割は、基礎デザイン学科にしか担えず、その責務に期待します。
1976年生まれ。福井県出身。1998年基礎デザイン学科卒業。2004年個人事務所「オフィスナイス」設立。2012年武蔵野美術大学通信教育課程専任講師着任。2014年から同准教授。
グラフィックデザインと、プログラミングを軸として、グラフィックデザインや編集、ウェブサイト構築の他、地域活性化事業や教育プログラム開発などを行っている。主な仕事に神戸市津波情報ウェブサービス「ココクル?」('14年)、47都道府県および市区町村の人口推移をシミュレーションするためのウェブサービス「人口減少×デザイン」('15年)地域産業と創造性教育プログラム「ロボット動物園」('16年)など。著書に『マルチメディアを考える』(武蔵野美術大学出版局/'16年)など。
基礎デザイン学科を卒業してからこれまでを振り返ると、僕の活動の軸となってきたものは、向井周太郎先生とのお仕事です。とりわけ、武蔵野美術大学での最終講義の際のインタラクティブムービー、それが元となった書籍『デザイン学 思索のコンステレーション』は、私にとってかけがえのない仕事になりました。
その時に、平面に配置していたことばを、仮想空間上に開放して、夜空を見上げるように見てみたいということが、今作の発端です。タブレットをかざして空を見上げてください。デザインの概念が空間に浮かんでいる様子がご覧いただけます。向井先生の頭の中に入り込んで、そこに広がるデザインの概念世界を感じられるような作品になることを願って制作しました。
様々な分野の方々とお仕事をする機会を得て、つくづく基礎デザイン学科で学んで良かった。と思います。自分自身が、デザイナーという立場から、デザインの領域を意識せずに様々なことに挑戦できていることは、基礎デザイン学科で学んだからに他なりません。現在、学生だった20年前には想像もできなかったような社会になってきていると思います。けれども、基礎デザイン学科で学んだことは今もなお色あせずに、僕の活動の礎になっています。これからますます基礎デザイン学科が考える「デザイン」が必要な世の中になっていくと思いますし、基礎デザイン学科自体も進化していくと期待しています。
1999年ウェブ古書店「オヨヨ書林」を開業。
2004年実店舗を根津にオープン。
2009年青山に移転。
2010年石川県金沢市に移転。
2012年富山市に古書店「ブックエンド(上関文庫との共同経営)」をオープン。
基礎デザイン学科の創設50周年をテーマに、弊店の書棚から、50冊の本を選書しました。
デザイン学の思想の源となるような哲学書や思想書を50冊選ぶ。あるいは、ずばりデザイン理論そのものについての本を50冊集めるか、プロダクトや広告物を集めた図録を50冊にするか、それとも、それとも―。あれを選ぶか、これも入れたい―。
結局は、デザインを核としつつ、その周辺・周縁も含み、根っこもあれば枝葉も花も、理論書もあれば作品集も、デザイン書に限らず、写真表現、アート、マンガ、小説も含む様々なジャンルから、国・地域を問わず、古いもの、新しいもの、マニアックな本、稀覯書もあれば、どこにでもあるベストセラーも含むセレクション。
弊店の貧弱な棚からという縛りはあるものの、ここに古今東西の多種多様な書物より、「基礎デザイン学」的50冊を並べました。
市場で買い付けたり、お客さん宅で本を引き取ってくる。
ホコリを払い、裏に鉛筆で値段を書いて棚に並べる。帳場の椅子から一日ぼんやり通りを眺め、古本を探しに来る客を待つ。
晴れた日は猫が立ち寄る。
雨の日は休みがち。
タバコすぱすぱ。
酒は夕方から。
金は貯まらない。
大学出テモ、エラクナラナイヨウニシナイトナ。
1978年生まれ。2002年武蔵野美術大学大学院造形研究科基礎デザイン学コース修了。同年株式会社文藝春秋入社。デザイン部にて主に書籍の装幀を担当しています。学部時代は向井ゼミに所属。基礎デが面白すぎた故進路に迷い、大学院へ進み川添ゼミでお世話になりました。大学院在籍中に杉浦康平さんの元でアルバイトをした経験が転機となり、そこからブックデザインを志し今に至ります。デザイン活動以外では「実践!装画塾」の講師としてイラストレーターさんたちに装画への取り組み方をお伝えしています。また最近ではコンペティション「東京装画賞」2015と2016の審査員を拝命しました。
装幀とは書籍という小さな建築を設計すること。住人はコンテンツ=テキスト、住人が快適に暮らせる家を建てるため、建築構造=造本形態、建築資材=用紙選定、インテリア設計=本文組、エクステリア設計=ジャケットグラフィック、サイン計画=目次やノンブル等、を設計してゆきます。ここまでが設計の仕事ですが、ほんとうの目的は住人が一番暮らしやすい土地=読者へスムーズに届けることです。そのため「土地・風土に合う建築」=「読者を想定した装幀」から導かれる答えを重視しつつも、しかし時々、「豊かな暮らし」に配慮したオリジナル企図を加えます。その正否はすぐには測れませんがデザインが成すべき作業の要と銘肝しています。
保育園児の娘は絵を描いたりオブジェを作ったり延々と創作活動に没頭しています。オシャレにも熱心で気に入らない服はテコでも着ません。そんな様子から、人の創造性、装飾欲はプリミティブなものなのだと今更ながら実感します。基礎デが生まれ50年が過ぎ、なお混沌としている本邦に、自分を含めデザインの不甲斐なさを感じなくはないですが、しかし大上段から人々を啓蒙するような態度は傲慢に過ぎる。子供達の健全な奔放さには侵してはいけない輝きを感じます。元来人が持つデザイン志向を自由に活かせる環境を担保することが「あるべき生活世界の形成」であり、形成の結果を決定付けることがデザインではないのだと気付かされるのです。
私立浅野高校在学中にデザインを志して武蔵野美術大学へ。短期大学部工芸デザインを中退後、基礎デザイン学科31期生としてプロダクトデザイン、色彩デザイン、各種デザイン学を学ぶ。向井周太郎ゼミ専攻。また、音と映像を融合させた課外活動「ムサビテクノ」を設立しライブ/DJ活動を行なう。2001年に(株)ニューバランスジャパンに入社し様々なシューズのデザインを担当。代表作はM576/20周年コレクション、間寛平アースマラソンプロジェクト、レインボーランニングコレクション、ハイブリッドコンセプト/マージコレクションなど。
http://www.facebook.com/shinnosuke.tatsuzawa
市場に存在していなかった「新しい価値観を持ったランニングシューズ」をテーマに、ランニングシューズの物理的な機能のアップデートはもちろんの事、そこに付加する+αの要素として、走行中のランナーのモチベーションの向上という、ユーザーの使用時の心をサポートするという新しい感覚の機能をデザインからアプローチしたコレクション。
市場に存在するデザインの大きな流れでもある、道具としての機能向上をシンプルでフラットに再構築していくミニマルデザイン、その主流とは異なるデザインの方向性を構築するべく、ユーザーの使用時の気持ちを向上させ、身に着ける事が楽しくなるような「心にリンクするデザイン」を目指した。
多角的にデザインを捉える基礎デザインは、世界中にある多くのデザイン学の中でも真にワンアンドオンリーの存在であると思います。また、核となる基礎デザイン哲学に様々な角度からアプローチしていく多くの卒業生達により、多様な変化と広がりを見せるユニークさも内包しているとも思います。これは、合理的デザイン理念の西洋文化からは生まれてこない、独特な日本文化の心が根底に流れているからだと考えています。
1978 岡山県に生まれる
2002 武蔵野美術大学卒業
2002 鎌田拳太郎に師事
2004 独立
2010 株式会社 QWAGATA 設立
この写真は、基礎デザイン学科の在校生48人と教授2人を10月の5日間を使って撮影したポートレートです。
その日初めて出会って、話して、撮る、1人40分。短い時間の中にも緊張と発見と共感があり、それはとても魅力的な時間でした。写真は真実を写さず表層しか写さない、不確かで曖昧で、破れば消えてしまうペラペラしたものです。それでも、この一枚一枚にはリアリティや撮影者と被写体とが過ごした時間が確実に記録されています。
在校生の人達の目はキラリと輝き、教授の目はドシリとこちらを見据えて、レンズの先へと突き抜けて行きました。現役の人達、憧れていた教授を撮影できて光栄に思っています。ありがとうございました。
デザインをロクに勉強もせず、写真を撮り続けて15年が経ちました。それでも基礎デの課題の多様性は確実に自分の写真に影響し核を成しているように思います。50周年おめでとうございます。
1978年神奈川県生まれ。2003年基礎デザイン学科を卒業後、デザイン事務所〈omomma〉を設立。タイポグラフィを基軸とし、出版、CI計画、宣伝美術、パッケージデザイン等に従事するほか、展覧会やワークショップを通して、言葉や文字の新たな知覚を探るデザインプロジェクトを積極的に展開する。近年のプロジェクトには、重力を主題としたモビールのタイポグラフィ〈もじゅうりょく〉、山岳写真と登山図を再構築したグラフィック連作〈稜線〉、音楽家と共に展開する発声と書字のパフォーマンス〈TypogRAPy〉等がある。共著に俳句集『ハロー風景』。2014年JAGDA新人賞、東京TDC賞受賞。
1994年–現在にいたるまでの主な制作物と、自主プロジェクトを再構成したエディトリアルプロジェクト『アイデアno.373 曲線 ̶–Song Lines』(2016年1月発行)の成果物とその制作過程。
そもそも、デザインってなんだろう?その答えは、永久に揺るがないような強固なものではなく、毎日意味やレートが変わるような、生モノだと考えてみる。
かたちや考え方をゼロから設計してもいいし、いたずらしてもいい。価値や創造なんていう大ごとの前に、あせらずゆっくり、ほんの少しだけ疑うだけでもいい。まずはその生モノに挑むために必要な、自分だけの道具や環境や方法を探ってみよう。
学生でも巨匠でも、会社員でもフリーランスでも、共通して「デザインってなんだろう?」という問いは、姿を変えながらいつも目の前に立ちはだかる。その問いは、「自分ってなんだろう?」という問いと重なるほどに大きく、生々しい。
岡山県出身。基礎デザイン学科研究室に教務補助員として勤務後、ロンドン大学ゴールドスミス校大学院Design Futures 修了。英日のクリエイティブエージェンシー勤務を経て、現在、名古屋芸術大学デザイン学部専任講師。基礎デザイン学、デザインをデザインする方法としてのメタデザインを基盤とし、デザイン理論研究・デザインリサーチ活動を行うほか、自治体、企業、NPO団体等と共にソーシャルデザインに関する実践的なプロジェクトを行う。また、名古屋芸術大学デザイン学部の基礎教育を統括すると同時に、同大ライフスタイルデザインブロックにおいて、既存のデザイン領域を超え「生活」そのものに総合的にアプローチするデザイン教育を実践。グッドデザイン賞 2014・2015・2016受賞他
名古屋芸術大学で萩原周(15期)と共に、ライフスタイルデザインコースを運営。考現学とデザイン学とを融合させ、包括的に「生活」と向き合う新たなデザイン教育実践を行なってきた。その本質部分は基礎デザイン学科の教育理念と通ずるところが大きい。卒業制作テーマ集や、地域との関係を創り出す特別授業の断片を紹介する。また、グラフィックデザイナーとして仕事をスタートさせたことが今日の実践活動の基盤となっている。国際ブラインドテニス協会との協働などデザイン力が届きにくかった領野へ届け、新たなデザイン方法を探る活動を続けたい。理論研究の背景は、基礎デザイン学科で学んだ広域な視座と、ロンドン大学で学んだ他分野への接合理論とが重なり合っている。個々のテーマは幅広いが、常にデザインと社会との接合のあり様を考えている。
私自身がデザイン教育に関わり、その在り方について考える機会が多くあることもあり、他の先端的・基層的な領域に梁を渡しデザイン学を形成する、基礎デザイン学というプロジェクトがどれほど革新的で挑戦的であったか、だからこそ貴重なものであるかを実感することが多い。そのプログラムが時代に呼応し更新され続けるのと同時に、デザインは私たちの「生」に根ざしているという根本的視座は不変だと感じる。在学時にはぼやけていた言葉や体験が、湿布薬のようにその後じわじわと効いてくる経験をしている卒業生は私だけではないと思う。大きな視点や関係から物事が語られにくく、批評力の地盤自体が不安定なこの時代にあって、デザインの知が機能し続けられるかが試されている。基礎デザイン学の役割はますます貴重ではないか。
1981年北海道函館市湯の川温泉生まれ。基礎デザイン学科では原ゼミで卒業制作「Ex-formation 四万十川」の「十人十川」を制作。卒業後、2005年に大日本印刷株式会社へ入社。住空間マテリアル事業部で建築内装材や車両内装材など印刷素材の表面パターンと質感の企画制作に従事。その後、家業である函館湯の川温泉湯の浜ホテルへ戻るも、直後に東日本大震災が起こり観光客激減の影響で今までにない業績悪化を経験。現場で一から旅館経営の勉強をしながら、徹底した業務効率化を計り、現在は総支配人として湯の浜ホテルの再生に尽くしている。夢は函館湯の川温泉湯の浜ホテルでしか体験できないお客様の快適な居心地を新たにデザインすること。
現在私は家業の4代目として函館湯の川温泉湯の浜ホテルの経営を担っています。昭和3年創業、バブル期を経て増改築を繰返しながら存続する温泉旅館の雰囲気を感じ取っていただければと思い、普段館内で使用している備品や道具を展示台の上に組み上げました。
天井から吊っている手ぬぐいは、5年前から夏のビール飲み放題イベント時に制作しているものです。お客様にはこの手ぬぐいを首にかけ夏のビールを味わっていただき好評を得ています。湯の浜ホテルはこれからも少しずつ歴史を積み重ね変わり続けていきます。今ある資源を最大限活用し真心もってお客様をお迎えする。そしてこれからは、地元でできる理想のホテル・旅館を目指し、新たな設備や仕組みを取り入れ実践していくところです。
地域に根ざすモノやコトのデザインが地域の魅力の再発見につながる事例が増えると嬉しいです。そのような取り組みの数々がこれからの魅力的な日本らしさを表すことになれば素晴らしいと思います。そして地域の良さ日本の良さを体験しに世界から多くの人々が訪れることを願っています。私は観光業の立場から地域の自然や歴史文化に注目し、温泉旅館のサービスとい う形でお客様へ土地の魅力を伝えるという活動をしていきたいと考えています。デザインを単なる専門分野の職能としてではなく、広く世の中の問題解決の考え方と定義し教えてくれた基礎デザイン学科に感謝しています。目の前のどんな課題に直面しているときもデザインマインドを持って立ち向かえることは、私の基礎となっています。
2006年基礎デザイン学科卒業(原研哉ゼミ)。2008年早稲田大学大学院 国際情報通信研究科修了。IT&デザイン系のスタートアップ創業、早稲田大学政治学研究科 助手などを経て、現在は、東海大学 教養学部芸術学科 専任講師。その他には早稲田大学ジャーナリズムスクールの非常勤講師やデザインコンサル、デザインスクール、公益法人などのアドバイザーを務める。専門は、情報デザインとデザインプロセス。近年は参加型デザインなどのデザイナーとノンデザイナーの共創プロセスの手法や、当事者デザインなどの当事者自身がデザインを実施するためのデザイン手法の開発に力をいれている。
今から10年前、基礎デザイン学科を卒業する時、理工系の大学院に進学予定だった私に対して、板東先生はこのようなメッセージを送ってくださいました。「デザ
インから遠い、遠い世界に行って、新たなデザインを探求してきてください。」
デザインの旅に出た私は、失敗や試行錯誤を繰り返しながら、自分なりの基礎デザインをアップデートしてきました。これは、10年間のデザイン活動を自ら振り返った回想録であり、旅の記録です。
デザインを学ぶ場は、企業をはじめ教育・行政機関やNPOなど様々な場に広がり続けています。また、テクノロジーの進展により、これまで以上に多くの人がデザインを実践しうる時代になりつつあります。そのような時代において、基礎デザイン学科が探求してきた「生」を起点としたデザインの知と倫理観は、これまで以上に求められるのではないでしょうか。これからも、洋の東西を問わず、あらゆる知の領域を横断し続けながら、着実にデザイン知をアップデートし続け、社会に問いかける運動体としての基礎デザイン学科であることを願っております。
北海道小樽市生まれ。2007年基礎デザイン学科 深澤直人ゼミ卒業。東京都在住。メイクブランドの店頭スタッフ・企画・マーケティングプランナー・商品開発プランナー・ブランディング、広告代理店の営業として、メーカー・企業広告のプロモーション・キャンペーンなどを担当。並行して卒業から5年後、卒業制作を「和暦の室礼」改め「暦箱」としてブランド化し、ロンドンデザインフェスティバルに出展。それに伴いBS日テレ「TOKYO DESIGN WEEK.tv」出演。
(2017年商品化予定。http://koyomibako.com) その他、プランニング・ディレクション・プロデュース業務、ブランディング・デザイン・映像・イラストレーションに携わる活動等。
卒業制作にはじまりそれを土台として、自分が社会に生み出してきた仕事の一部を、基礎デザイン学科を象徴する様な幾何学の箱に収め、積み木のように下から上へ上へ、一つ一つ積み上げた。卒業後約10年間で、企画、マーケティング、商品開発、グラフィックデザイン、映像、web、メディア広告、PR、ブランディング、接客、営業等々、職種・業種共にガラパゴスの如く多岐にわたって幅広く社会と関わり、様々な立場で様々なジャンルのデザインに携わってきた。そういった経験が一つ一つ積み重なって現在の自分が在る。それを象徴する表現と共に、この先へ積み上がってゆく自分の未来への希望も込めた作品。
「暦箱」協力:(株)大直・山根折形礼法教室
まずは、愛してやまない基礎デザイン学科の50周年、誠におめでとうございます。この様な場に参加でき大変光栄です。また多くの優秀な卒業生がいる中で大変恐縮です。この50年で「デザイン」という言葉の意味は今や何倍にも膨れ上がり、多くの要素を含んだ言葉となりました。現代ではより一層多くを学び、理解し、対応する事が求められていると感じます。それを実現できるのが基礎デザイン学科なのだと思います。私自身、所謂「〇〇デザイナー」等の限定された職種ではなく、客観的にデザインと携わる立場が多く、それはこの科で学ばなければ成し得なかった事だと常日頃感じています。2020年へ向けてデザインが本当の意味で理解・共感・共鳴され、またそれを皮切りに、より一層発展してゆくことを願っています。
1984年東京生まれ。幼少期、祖父母が住む鳥取の自然の中で遊ぶことが大好きでした。中学、バレーボール部で色々と鍛えられました。高校、美大に進んだ姉の影響でデッサンを学びたくて代々木ゼミナール造形校へ3年間通いました。その予備校の先生に、時代は基礎デだ、と言われたのを機に基礎デを意識し、2004年基礎デ入学。在学中はチームでの課題制作が多かったせいか、あまりひとりで悶々と制作…という記憶がなく、いつも友人たちとのアイデア出しでたくさん笑っていた気がします。2008年卒業後、資生堂にグラフィックデザイナーとして入社。入社後はグローバルSHISEIDO、マキアージュ、クレドポー・ボーテ、花椿などの広告やグラフィック制作に関わっています。
基礎デを卒業してから、資生堂という化粧品の会社に入りました。それから現在まで、お化粧というささやかな行為を通して、小さくも大きくも、世の中のことをあれこれ考えながら、様々な制作をしてきました。
今回この50周年の展示をきっかけに、卒業してから現在まで、制作してきたものをまとめながら、基礎デというフィルターをかけてみると、いかに基礎デで教わっていたことが多いかに気づきました。化粧品はミクロの研究から始まり、本当にささやかな行為なのですが、そこから脳へ心へ、自分の外の大きな世界までつながっていくものだと日々感じています。
その小さな現象から宇宙のように広がっていくワクワクする考え方は、基礎デで教わったことそのもののような気がしています。
基礎デザイン学科50周年おめでとうございます。基礎デの授業で、丸の中にひとつ言葉を書いてそこから連想する言葉を幹のようにどんどんつなげて広げていく、という演習をしました。皆、時間いっぱい幹を伸ばしましたが時間さえあれば幹はずっと伸ばし続けられるということを体感した演習でした。その授業は基礎デを象徴するようなものだったので、とても記憶に残っています。基礎デという言葉を真ん中にして、一緒に過ごしたクラスメイトは職種を超えて様々な幹になって伸びていることや、自分自身もこれからも自由に幹 を伸ばせることにワクワクします。更には50年前の基礎デから伸びている幹を想像したら、ちょっと壮大すぎましたが、その一部になれたことを今とても嬉しく思っています。
株式会社TYMOTE 代表、世界株式会社代表。
1984年生まれ。2008年基礎デザイン学科在学中に株式会社
グラフィックデザインや写真が「時間」という概念を内包しているものであるという前提において、それ自体が時間軸を持っている「映像」という表現は、どのように「時間」を捉え、デザインするべきなのかいつも考えてきました。
時間を扱うデザインには、どうしても逃れられない「1秒」という単位があると考えています。
私がこれまで手掛けてきた映像作品は、
「それ自体が持っている時間」「それを見る人が持っている時間」「私がそれをこしらえている時間」
その3点を、刻々と刻まれる1秒の単位に合わせ、繋ぎとめていくような作業から生まれたものたちです。
今回の展示では、それらの作品たちをもう一度1秒の単位に分解し、偶然性の中でそれらを組み合わせていく事で、各々が取り巻いている「時間」を複雑に絡ませ、私の8年の製作活動を振り返ります。
私が基礎デザイン学科を卒業してから、今最も大きな時代のうねりを感じています。それは2011年の東日本大震災から始まり、2020年の東京オリンピックに向けての、人間の持つ熱量といったものが、大きな群像となって「世の中」として私の中で可視化された為かもしれません。今、デザインという分野や歴史が、かすめ取られてしまうような危機感が「世の中」に漂っていますが、きっとそんな事はありえないのでしょう。私が基礎デザイン学科で学んだ「デザイン」というものは、人間一人一人に宿っているものであるはずだからです。「世の中」に振り回されず、かと言って目を逸らさず、基礎デザイン学科の卒業生として、普遍的な美を探し求める旅を、これからも変わらずに続けていこうと思っています。
アートディレクター/ グラフィックデザイナー
1986年生まれ。2010年基礎デザイン学科を卒業後、株式会社電通入社。広告をはじめ、ロゴデザインやパッケージ、プロダクト、商品開発などさまざまな分野でアートディレクションを手掛けている。また、自身の押し花作品を作品集にした『flora』を2012年に自費出版。2015年飛鳥新社より一般発売。2016年より、消費されるのではなく、人々の手元に残るものを作っていきたいという想いより、自身のブランド[La]を立ち上げ、第一弾としてスカーフを制作し、展開開始するなど個人名義での活動も行っている。
普段広告代理店で働いているせいか、消費されるものではなく、人の生活のなかで手元に残り、身につけるものを作りたいと思い、[La]というブランドを立ち上げた。
ブランドコンセプト、ロゴ、スカーフの柄、パッケージ、ショップカード、カタログ、ポスターなどをトータルでブランディングしデザインしている。垣根なく全てを俯瞰してものごとを作るということに抵抗なくできたのは、大学4年間基礎デザイン学科で学んだことが根底にあるのかもしれない。現在、青山スパイラルなどで販売を開始している。
―
La
赤ちゃんの産声も、
オーケストラのチューニングも、
ラの音階だという。
ラとは何かがはじまる音。
身にまとえば、
なにかがはじまりそうなものを
生み出すブランド。
―
大学生のころは感覚的に作るということだけではなく、なにかものを作るときの軸を考えるということを意識的にしていた気がします。その考え方は、今の仕事の取り組み方にもとても影響していると感じることが多いです。基礎デザイン学科での4年間で得たものの中で一番大きかったのは、ものを作るときの姿勢だったのだなと今振り返って感じています。
1988年生まれ。2011年基礎デザイン学科卒業。4年次の卒業制作では原研哉ゼミに所属。「半熟」をテーマにした作品「縫い包み」が優秀賞を受賞。
同年、博報堂プロダクツに入社。マス広告、CI、店頭ツール全般、パッケージデザイン、エディトリアルデザイン、イラストレーション、アプリ開発、など様々なジャンルの制作業務に携わる。また、車、携帯端末、飲料、食品、福島県の観光復興キャンペーン、愛媛県松山市のPR用ロゴマーク制作など幅広い領域の業種を担当。’16年、ジオメトリー・グローバル・ジャパンに入社。アクティベーションを中心とした広告制作に従事している。
私の制作物は事例の収集・分析・考察・実践によりできあがります。そんなキッカケとなった卒業制作と新たに取り組んだ作品の2点を展示します。
「縫包み」
半熟をテーマにした卒業制作。多数のぬいぐるみの制作事例から「おもしろい」と感じる要素を抽出。「ぬいぐるみの持つ可愛い世界観」と「人の持つ欲望」というギャップのある要素を結びつけることにより生まれるおもしろさに着目し、一億円分の札束を制作した。
「motion patterns」
動く錯視を応用した作品。視覚から得られる情報は、様々なことに影響され、私たちは極めて曖昧な情報を得ている。そんな目の持つ構造や認識を利用した芸術が錯視である。錯視効果を参考にしつつ制作事例とは色彩や異なるモチーフを使い様々な表現を模索した。
ソーシャルグッドのデザインが一過性で終わらず、今後さらに広がっていくことに期待している。地域の活性化や、各国にある様々な問題を解決するためにデザインの力が機能している。社会に役立ち、消費者とブランドをつなげるデザインが今の広告業界ではトレンドとなっている。くまモンなどを見ていると、デザインの力が社会を活気づけることに役に立っていることを実感できる。私自身は、仕事を通じて震災後の福島県の観光復興PRに携わった。制作物を通じて経済が少しでも良くなることにやりがいを感じた。今後も基礎デザイン学科の4年間で学んだことを生かし、社会に機能するデザインを続けていきたい。
福祉・介護機器装置またはそのシステム開発とスマホアプリケーション開発事業に関連する会社に勤め、企画資料の作成や企画そのものなどに携わっております。事業におけるIoTセンサ技術を利用した高齢者の安否見守りサービスでは、データを集計してグラフ化し、分析してお客様へお伝えすることも役割です。デザイン以外のことも幅広く役割を担って会社のフォローが出来るように日々努めています。
今の仕事に絡めて、私が学生当時に卒業制作で出品した「SOCKS」と結びつけて、今回案を考えました。同じ靴下という題材でも、より現実的に社会の問題(認知症高齢者の徘徊保護)をテーマに考えてみました。
認知症徘徊者で行方不明となった人数は、1万2千人以上(厚労省発表/2015年)に達し、益々増える傾向に有ります。私は、この課題に対して患者の徘徊をいち早く検知し保護する方法として、靴下にIoT技術を利用する事を考えました。
1. QRコードをポイント刺繍する
2. 滑り止めとして転写する
3. 製品生地タグを付ける
それぞれQRコードにスマホをかざせば、患者の家族や施設等の連絡先が読み取れて、患者を発見した通行人がコードに気づけば自動で電話連絡します。その結果、徘徊している事が判明して処置が出来ます。なおこの靴下には検知NFCタグを埋め込むことができ、施設では玄関に設置したマットセンサを踏んだ際に徘徊を知らせます。このように「靴下」なら患者から目立たず身近で身につけて普及できると考えました。
基礎デザインで学ぶ人たちは企画から関わりたい人も多かったと思うし、受験は当時論文や数学選択もあったし美大の中でエリートな感じがしていました。10代、一般大学の受験は諦め、泥臭いものづくりをしている内に、デッサン力はあまりなくて基礎デへと辿り着きました。ひきこもり10代がたたって、賢くないし、人と上手く喋れないし、作るものはハリボテのようで大学時代は劣等感だらけでした。でも、あの4年間でデザインによって社会と繋がるすべを持てたことが本当に嬉しいです。人が笑顔に変わるアプローチとしてデザインの力を信じます。私がその当事者だからです。現在は毎日が勉強です。社会に出てから学びたいことが増えました。それもデザインの世界が私になかったら気づかなかったことだと感じます。
2013年基礎デザイン学科卒業。2015年修士課程修了。
同年より、日本デザインセンター原デザイン研究所に勤務。
2013年MITSUBISHI CHEMICAL JUNIOR DESIGNER AWARD2013 審査員特別賞/2015年武蔵野美術大学修了作品展 優秀賞
この二作品は学部生の卒業制作と大学院の修了制作です。「ふたり」をテーマに制作を行った「x-ray portrait」はCTスキャンを使用し、ふたりの肖像を描く試みです。
一見すると一人の人体に見えるショットは、実は双子がCTスキャンの中で重なり合った姿を撮影しています。
この作品から半透明性に興味を持ち、生まれた「Translucent」は透過のコントロールで表現を探っていく研究です。桃山時代の水墨画の空気感を表現すべくレントゲンを用いて松を撮影しました。
半透明がもつ曖昧さという「イメージの余白」にこそ人の心を掴む情緒が生まれると感じています。当時のこの感覚は今も私の根底に在り続けています。
基礎デザイン学科創設50周年おめでとうございます。素晴らしい先生方に、宝物のような言葉と教えをいた
だきました。当時のノートは今も、全て捨てられず残っています。あの頃は手よりも口ばかりを動かしていた学生でデザインについて朝から晩まで友人と10号館の喫煙所で話し合っていたのを覚えています。中でも「コミュニケーション」という言葉に疑問を抱いていました。「伝える」という強力な矢印とは違う伝達の仕方があるのではないかと。主張だけではない、コミュニケーションを今も考えている気がします。基礎デザイン学科で学んだことを土台に、自分の根幹を作っていく作業は続いています。
次は100周年。頑張って生きたら立ち会えるでしょうか。今後の基礎デザイン学科の発展を楽しみにしています。
1989年中国四川省成都市生まれ。2008年に来日、2010年に基礎デザイン学科に入学。コミュニケーションデザイン、グラフィックデザイン、デザイン論を学ぶ。学部を卒業した後、同学修士課程を経て2016年3月に卒業。卒業・修了制作は武蔵野美術大学2013、2015年度の優秀賞を獲得し、同年に日本、中国、韓国で展示を行う。2016年4月に日本デザインセンターに入社し、現在デザイナーとして働いている。
「tokyo pulsation」と「air pulsation」二作品を再編集して作った映像作品。東京の鉄道網と空港に目を向け、車両と人間の動きだけを抽出してモーショングラフィックスで再現した。鉄道の映像では、東京都内の通勤ラッシュの時間帯の全車両の動きをリアルな時刻表と駅の位置に合わせて動きをつけた。空港の映像では、羽田空港の第1ターミナルのマップをベースにし、同時間帯の空便情報に合わせて空港内の人々の移動を算出し、可視化した。鉄道網の映像と空港の映像を合わせて観ていただくと、無数のドットが一斉に動き出すことで、膨大なるエネルギーを消費する東京を生き物のように感じることが本作品のコンセプトである。
私は数学の入学試験を受けて基礎デザイン学科に入った。当時、美術やデッサンの知識など一切なかった僕はなぜ美大に入ったという疑問を自分自身に問い続けていた。基礎デザイン学科に入り、日々の勉強を重ねてデザインに対する認識も大きく変わった。数学の問題を解くこととほぼ同様に、1つの問題に対してデザインの技法や分野を分けずに様々な「デザイン」を使い、答えを生み出すことは基礎デザイン学科で学んだ一番核心的なことであった。数学、そしてデザイン、一見関係ない2つの分野は基礎デザイン学科で融合し、そして未来にも通用するデザイン思考の方法として、大事にすることをぜひ次世代のデザイナーたちにも伝えて欲しい。
1991年神奈川県横浜市生まれ。2015年武蔵野美術大学 基礎デザイン学科卒業。同年、花王株式会社 入社。
グラフィックデザイナーとして、商品広告の企画やビジュアル制作を担当。本年度は同社にて、若い世代に向けた、コーポレートコミュニケーションのプロジェクトにも参画。
「あやとり」は、世界各地で自然発生的に普及した遊びですが、とりわけ日本のあやとりは美しく、整然とした形が多いとされています。そんな「あやとり」によって作られる様々な形を抽出し、空間に再現しました。それは身の周りの事象が、掌や指といったスケールによって単純化された形であり、脈々と受け継がれてきた、手の行為の軌跡でもあります。私は在学時より、身近にあるモノの形を抽出し、再構築することで、人々に根付く「美意識」や「情緒」を分析し、作品に反映させてきました。卒業から2年経った今でも、モノから得る印象や情感を、より純度を上げて周囲に示す力が、デザインにはあると考えています。
基礎デザイン学科で過ごした4年間、デザインは思考する営みに留まらず、自分の身体や、周囲の環境といった、大いなる「自然」と密接に繋がっている行為であることに気づかされ、感動する日々でした。社会人となり、心豊かに生きるとはどういうことか、そのためにデザインが寄与できることは何かを自身に問い続けていますが、その答えもまた、在学中に得ていたような気づきの中から見出せるのではないかと考えています。本学科で学んだことは自分にとって、またはこれから巣立っていく多くの学生たちにとって拠り所となる、デザインを考える上での大きな柱になると信じています。
神奈川県秦野市出身。高校時代は部活に熱心でデザインに無縁の生活を送っていたが、受験間際になり将来に悩んだ際、友達からの「絵が上手いんだから美大に行けば」という一言をきっかけにデザインに興味を持ち、ムサビに進学。1年の頃は芸術祭執行部のデザイン部に所属し、パンフレット小屋を制作。授業課題をこなしつつ、「六角展」や「en.......展」などのグループ展をおこなった。板東ゼミに所属し、直線が好きだったことからそれをテーマに卒業制作「Lines」を制作。2015年度優秀賞受賞。現在、ブラビスインターナショナルに勤務し、主にお菓子や飲料などのパッケージデザインを行っている。
線は多次元に存在する。紙に書かれた線は二次元、シャープペンシルの芯は三次元にある。いや、よく考えるとそうとは言い切れないのではないだろうか。例えば数学の空間図形で出てくるノートに書かれた三角錐は平面の中の空間に存在する。二次元の中にも三次元は存在し、逆もまたありうる。次元というものはひどく曖昧なのかもしれない。この作品はすべてシャープペンシルの芯で出来ている。物質として空間にあり、線という形状を常に保ちつつ、紙にこすれば平面として形を変える。平面と空間の両方に同一素材の線が存在する不思議さがここにはある。この線は平面に存在するのか、空間に存在するのか、はたまた平面の中の空間か。あなたの目の前にある線は一体どの次元にあるのだろうか。
今年の4月に、社会人となりました。会社に入った時に社長や上司から言われたのは「基礎デザイン学科出身は優秀な人が多いから期待してるよ。」ということ。社内の卒業生の方が優秀だったということもあると思いますが、学科というくくりで優秀といえるのは、どんなデザインにも通ずる根幹を学んできているからだと思います。専門的な技術は社会に出てからでもたくさん学びます。逆に学生の頃に学んだようなことはもう学べないかもしれません。それくらい柔軟で幅広い知識が得られる場所でした。デザインがどんどん仕事の道具になってしまって来ていると感じた時、学科で学んだことを思い出すと頭が柔らかくなる気がします。社会に出て凝り固まる前の柔軟な思考を、これからも育成していってほしいです。
卒業制作
「枝を削る」(羽生田菜緒)
「東京迷彩」(松原明香)
「樹球」(池田頼果)
背面:
「線を描く」(吉原佑実)
「cm-VEGE」(鎌田拓磨)
「昇果」(松尾美果)
プロダクト環境
間「BOOK AS A VISUAL LANGUAGE」(北原聡一郎)
ゲーム「だいじな木」(谷口敦紀)
間「MATERIAL KNOB」(吉田大成)
背面:ヴィジュアルコミュニケーション
スポーツ
「PAPER AIRLINE LEAGUE」(秋山菜保子/上野さくら/河邉宏樹/サイ ウンイツ/高田早希/山口花音/渡邊真生子)
「KEMARI」(有吉裕美/風間めぐみ/北原聡一郎/チン ホウ/宮内加奈/コウ センセン)
「ラジO 体操」(小川琴子/鐘ヶ江 愛/清水皓介/バク ドンウォン/ワン スイ)
形態論II
てがかり「ワイン」(上野さくら)
トロフィー「エロティック」(北島由惟)
トロフィー「お母さん」(佐藤 嵩)
背面:タイポグラフィ研究a
トリアディッシュ・バレエ(下鳥舞佳)
ジョン・ケージ(豊原理佐)
ラジオ体操(安河内愛美)
形態論I トランスフォーメーション(鳥飼みづき/倉地詩織/上杉ひなた)
背面:色彩論I
太陽残像(網野萌夏/堀内麻由)
トランスペアレンシー(虎走 楓/二宮千佳)
光の表出(本多舞子/荒幡千笑)
1932年東京生まれ。早稲田大学商学部大学院修士課程在学中に、ジェトロの産業意匠改善研究員制度で1956−57年ドイツ・ウルム造形大学に留学。同大学で、マックス・ビル、オトル・アイヒャー、マックス・ベンゼ、トーマス・マルドナード、オイゲン・ゴムリンガーらに先端的な知の文化的統合によるデザイン方法論を学ぶ。後に同大およびハノーヴァー大学インダストリアルデザイン研究所のリサーチ・フェローを経て、1965年より武蔵野美術大学で新設学科として基礎デザイン学科(67年発足)の起案と設立に従事。以後、デザイナーとして活動する一方、この基礎デザイン学科において領域横断的な新しいタイプの人材の育成とデザイン学の形成に力を注ぐ。2003年より、武蔵野美術大学名誉教授。
展示書籍の表紙や背に生成する、生、原像、かたち、詩学、モルフォポイエーシス、コンクリート・ポエトリー、世界プロセス、身振り、コンステレーション、イメージ思考、セミオシス、ふすま、という概念は、私のデザイン学の世界像と思考の源泉や流れを形成するキーワードです。在来のデザイン概念と異なるのは、デザインとは専門のない専門であるとして、私たちが「基礎デザイン学」という概念装置によって展開してきた、そのデザイン固有の全的専門性を描出しようとする構成概念であるからです。しかもデザインとは、「生の全体性としての生活世界の形成」であるとして、「生のデザイン哲学」の形成へと赴いた、その世界制作プロセスを表象するものです。
構成・デザイン:原 研哉+佐藤裕之
デザインという行為は、自己制作(オートポイエーシス)であると同時に世界制作です。この制作は共にポイエーシスといいます。私たちの制作の身振りも、自然の振る舞いもすべてポイエーシスと呼んだのはアリストテレスです。これは宇宙論的な詩的営為ともいえます。デザインが専門のない専門にしても、デザインという専門の総合的特質は、「美」の形成、生活世界の生動的な調和の創造にあるといえます。それは、まさにポイエーシス、生活、生命、生成、生産、生態、共生などをふくむ生の全体性としての生活世界の動的平衡の形成であり、あるべき社会的・文明的な課題であるといえます。その先覚性を、再帰更新する「生」の構想、根源的な生知にねざす基礎デザイン学科の展望に期待しています。
「Design Thinking=デザイン的思考」は、モンダイ解決ソフトであると考え、一次産業から社会モンダイまでをデザインする。「漁師が釣って、漁師が焼いた」のフレーズでプロデュースした「土佐一本釣り・藁焼きたたき」は、絶滅寸前の土佐一本釣り漁法を甦らせた。「私たちの町には美術館がありません。美しい砂浜が美術館です。」をコンセプトとした、空想美術館は、モンゴル・ガーナ・ジンバブエと、世界にひろがり、一世代では終わらないデザインとなった。荒果てた栗の山から、無化学肥料・無農薬という、あたらしい価値をひき出し、「しまんと地栗」というブランドで、山の中に新産業を作り出す。秋田県の新メッセージ「あきたびじょん」。島根県の離島、海士町のアイデンティティ「ないものはない」のプロデユースなど。著書:『ニッポンの風景をつくりなおせ』(羽鳥書店)『ありえないデザイン』(六耀社)/共著:『梅原デザインはまっすぐだ』(羽鳥書店)梅原真・原研哉
水の本
1998年/ローカルがニッポンを編集する
四万十川の天然あゆを原稿料に、「水」についてのエッセイを依頼。ローカル自らが・「デザイン・編集」する本。
執筆者=浅井慎平/筑紫哲也/赤瀬川原平/糸井重里/天野祐吉/黒田征太郎/平野レミ/浜野安宏/フランソワーズ モレシャン/岡林信康/内山 節/山本容子/橋本大二郎/荒俣 宏/ナンシーフィンレイ/田島征三/櫻井よしこ/高橋 治
しまんと地栗
2015年/山奥に新産業を作り出すプロジェクト
荒れ果てた栗の山に価値はないのか?「しまんと栗」から「しまんと地栗(シマントジグリ)」への名称変更によるプロモーション。科学肥料・農薬を使わない「あたらしい価値」を引き出し、山奥に新産業を作り出すプロジェクト。
Designとは「デザイン的思考である」と定義することによって、デザインの領域は無限大となる。あらゆる社会問題は「デザイン的思考」によって解決できるのではないかと考える。つまり、基礎デザイン学科は、社会問題を解決する学科、未来社会を明るくするためにある学科と言っていい。「コミュニケーション・デザイン」はそれ自体、広範な概念を持っているが、社会構想のデザインというさらにひと回り大きい視野をプラスするべきである。これらを総称して「Design Thinking」という新たな概念を提唱したい。50年を向かえ、基礎デが「Design Thinking」によって、人間味のある、あたらしい社会を作り出していく。そんな学科でありたいと思っています。
1958年生まれ。1981年基礎デザイン学科卒業。83年に同大学院修了後日本デザインセンターに入社、現在同社代表。2003年より基礎デザイン学科教授。デザインを未来創造の資源ととらえ、コミュニケーションを基軸とした多種多様なデザイン計画の立案と実践を行っている。2002年より無印良品のアートディレクター、2012年には代官山蔦屋書店のアートディレクションを担当。情報編集とデザイン思考を両輪とした活動を主軸とし、2016年にはミラノトリエンナーレにてアンドレア・ブランジとの共同キュレーションによる展覧会「新先史時代−100の動詞」を立ち上げ話題となった。主著『DESIGNING DESIGN』『WHITE』、本学科学生との共同研究『Ex-formation』は多言語に翻訳され世界に読者を持つ。
自分の足跡を振り返って見えてくるものは、制作してきた展覧会と書籍である。「RE DESIGN」「HAPTIC」「SENSEWARE」「SUBTLE」「HOUSE VISION」そして「新先史時代−100の動詞」など、展覧会を作ってはその内容をせっせと書籍化してきたように思う。また、自分にとって言葉は重要で、デザインの言語化もまた、デザイン行為そのものであると感じている。つまり批評や内省というより、造形素材として言語を用いている感触なのである。この展示には、学生時代に製作した「視想花」と、卒業制作の「SEEING-視覚記号の歴史と諸相」を同時に並べてみた。振り返ってみるとここに確かに起点があり、ずっと同じことを飽きず懲りずにやってきているのだということに改めて気づかされる。
宇宙はリズムに満ちていて「かたち」とは、生あるものが宇宙に対峙する「身振り」である、と向井周太郎は言う。また、蝶の文様は太陽残像の記憶が生態の生成過程を通して外化したものではないか、などと。検証しようもないそのイマジネーションの中に、僕はいつもデザイン・サイエンスの詩情と生命力を感じていた。実証性の前にいかに創造的な仮説を持つかという点に思考の命脈がある。世界は今、大きな節目にあって、人間が生きて幸福であるための基本を、僕らは再考しなくてはならない。いかにときめく問いを生み出せるか。テクノロジーにもマネーにも依存しない「生」の感受性からデザインを捉えていく思想としてデザイン学を受け継いでいきたい。
1955年東京生まれ。武蔵野美術大学教授。
基礎デザイン学科、および大学院(修士課程)修了後、デザイン理論、特に記号論を中心とするデザイン方法論、形態や色彩についての思想や原理、デザイン史、またそれらの研究を基盤とするデザイン教育とデザインを専攻。現在、武蔵野美術大学にて、視覚化を基盤とした情報デザイン、色彩デザイン教育改編の共同研究の代表のほかに、日本デザイン学会、記号学会、基礎デザイン学会、Asian Network Beyond Design(AND)協会を活動の拠点としている。
デザインの研究と制作、その教育は、私にとっては結びついています。特に、インタラクションデザインでは、観察と研究、デザインは分けられません。今回は、形の無いインタラクションシステムのデザインを展示できませんが、見える研究とデザインを選んで展示しました。
研究との関連では、『かたち・機能のデザイン事典』『記号理論の基礎』『意味論的転回』。研究とデザインの資料構築としては、日本におけるバウハウス研究のデータベース「bauhaus matrix」、寺社の赤色データベース。制作としては、中央アジアで取材した崩れて新しい姿を現した文様を用いたブックカバー(えぽ叢書)、国際会議の広報デザイン、など。活動全体が絡みあって見える展示台を作りました。
デザイン活動が、デザインとは呼ばれない領域にまで浸透し、あるいは発散している現状において、デザインの「基礎」はデザインにおいてますます重要性を増しています。デザインの基礎=基礎デザインは、それらのデザインにツールや理論を提供するからです。ツールはただの道具ではなく、天体望遠鏡とその進歩が、観測方法を刷新するばかりでなく、新しい視覚を拓き、理論を構成し、実証するように、デザインにとっては重要です。基礎デザイン学は、当初の理念を維持しながら、新しい視覚を拓き、デザインの活動や役割を基礎付けるような理論を絶えず刷新できれば、と思います。
エレクトロニクス商品から日用雑貨、医療機器、ホテルのトータルディレクションまで、インダストリアルデザインを軸に幅広い領域で活動をしている。代表的な作品に、無印良品「体にフィットするソファ」/オムロン「けんおんくん」/カプセルホテル「9h(ナインアワーズ)」/JR東日本ウォータービジネス「次世代自販機」/庖丁「庖丁工房タダフサ」/木のおもちゃ「buchi」などがある。
毎日デザイン賞/グッドデザイン金賞/ドイツiFデザインアワード金賞/ドイツred dot design awardなど多数受賞。
著書『あるカタチの内側にある、もうひとつのカタチ』(ADP)。
モノでも人でも、深く関わるほどそれから受けるリフレクションは自分だけのもので、心に映る像は他の誰かと比べることはできない。いま見ている空の色が他人の眼にどう捉えられ、その人の脳に何を映し出しているのかは絶対にわからない。だから実体としてのそれよりも、むしろ心に残る印象にこそ本質はあるのではないかと思っている。
毎日、カタチという実体をつくりながら相手の心に何を残せるかと、その先に探している。丁寧につくられたものが湿度感を伝え、手馴染みの良さが懐かしさを語るように、カタチある物質を介して他人の中に潜り込む。そんなあつかましいことを企んでいる。
天体の万有引力を使って宇宙機の方向を転換し、加速/減速する技術をスイングバイ(swing-by)と言うそうだ。天体の近くを通ることでその公転運動を利用して、宇宙探査機を太陽系外へ送り出すために使われる。
デザイナーひとりの力は限られているけれど、先進技術や、職人の技、そういうデザイン以外の力とスイングバイすることで、デザイン系の外にまでデザインを届けたい。人の営みの全てにデザインが関われるように尽くそう、デザインは人が人らしくある為の知恵だから。
基礎デザイン学科13期卒業生。主なグラフィック作品に、リートフェルト、ミース、桂離宮のポスター、「Kieler Woche 1996」VI(ドイツ)。98年吉野川可動堰建設計画に対する住民投票に参加。01年よりシナジェティクス理論による軽量多面体構造の研究開発。04年よりLEDイルミネーションを製作し、国内外にて展示。07年より竹による球体構造の開発を行い、12年インドネシア・バンドン工科大学にて在外研究としてバンブーシェルターを試作。13年共同研究『日本とインドネシアを対象としたデザイン分野からの視点による竹の民俗資料の調査・研究』編集。16年徳島大学病院で展示した形態論課題作品を紹介する『ホスピタルギャラリー』(武蔵野美術大学出版局)編集。
デザイナーには2種類のタイプがある。自己表現に狂酔できる動詞のような人と、他者に影響される受動態の人と。どうやらぼくは後者らしい。基礎デ在学中は杉浦康平の和文組版に魅せられ、卒業後は清原悦志の簡潔な平面構成に染まり、20代後半で故郷に帰ってからは、ヘリット・トーマス・リートフェルト、ミース・ファン・デル・ローエの作品に心酔。40代にはデカルト軸から逃れるように、リチャード・バックミンスター・フラーのシナジー幾何学の世界に没頭した。デザインとは強烈な個性の天才たちから受けた感動をかたちにすること。50代のいま、向井周太郎の「デザイン学」に再び傾倒し、根原の形象こそがデザインの未来を解く鍵と思い至る。
デザインという言葉がモルフォポイエーシス(morphopoiesis)であること、かたちの生成をめぐる美学と実践の学問であることを教えてくれたのは基礎デザイン学科であった。学科設立から50年たった今でも、その理念はみずみずしく息づき、大いなる道しるべとなってぼくたちを鼓舞し続けてくれる。その現場で、後輩の学生たちに「デザイン学」を教える立場になった。教えるというよりも、ともに学んでいるといった方が正しいだろう。デザインとはなにか?この永遠の問いに真摯に向き合ってきた多くの卒業生たちの個々の活動の軌跡がその答えであり、混沌とした社会で問題に直面し、迷った時に立ち返る場所こそが「デザイン学」だと確信している。
90年代にニューヨークにてミュージックビデオやCMの演出・編集を手がけ帰国後、デザインスタジオ「ドローイングアンドマニュアル」を設立。モーショングラフィックスの分野では第一人者としてCIやVIなどの数々の実績を重ね、数多くの企業やブランドのモーションロゴ、ドラマや映画のオープニング映像を手がけている。映像ディレクター、Webディレクター、アートディレクター、フォトグラファーなど多彩な肩書きをもつ。代表作は大河ドラマ「功名が辻」オープニング映像、NHKドラマ「坂の上の雲」アートディレクション、イッセイミヤケ「132 5. FLAT」アートディレクション、NTTドコモ「森の木琴」CMディレクションなど。
活動期間たったの10ヶ月にして145点もの絵画を残し忽然と消えた謎の絵師。彼の描いた役者絵はみな、顔や体のパーツが大胆にデフォルメされ、表情やポーズは躍動的に誇張され、まるで今にも動き出そうとしている。その生命感あふれる作品たちは今も昔も日本のみならず全世界で人々を魅了する。僕もその一人。彼の型破りな世界観は映像作家・写真家としての僕に多大なるインスピレーションを与え、僕の創作を突き動かし、この「srk」はうまれた。彼の活動した時代のカルチャーを活かしつつ、現在のテクノロジーで表現する。今回は二人の女性に着物をベースにアグレッシブなアレンジを加えた衣装を纏わせ思い思いに動いてもらい、それをスーパースローで捉えた。過去と現在が混じり合いながらゆるりと時に漂う、菱川世界観で魅せる写楽。
後送
1948年 東京生まれ
1972年 基礎デザイン学科卒業/GKインダストリアルデザイン研究所入社
1981年 GK退社
1982年 デザイングループ スタジオスコープ設立
1986年 有限会社ケイプロジェクト設立
1996年 武蔵野美術大学 基礎デザイン学科助教授就任
1998年 同教授就任
2001年-現在 産学共同プロジェクト担当(7社12件)
2006年-08年 文部科学省 現代GP「いわむろのみらい」担当
2007年-09年 文部科学省 現代GP「EDS竹プロジェクト」担当
2009年-現在 官学共同プロジェクト担当(2市17件)
2010年-現在 瀬戸内国際芸術祭出展(小豆島わらアート 3回)
2011年-現在 わらアート制作展示(7市20作品)
写真)1 製造業のプロダクトデザインに協力事例(GKインダストリアルデザイン在職時)
2 流通業のブランディング展開(商品企画・デザイン)に協力
事例3 地域のブランディング展開(産物企画・デザイン)に協力
事例4 地域のブランディング展開(わらアートイベント)に協力事例
(展示物)現在 岐阜県美濃加茂市日本昭和村での展示中のわらアートの藁(稲の種類は初霜)
デザインを実践する者にとって、常により良い生活環境形成のためにそして社会形成のために活動することが責務と思われる。デザインの持つ力は、言葉で表現されているモノ・コトや数字で表されている内容を翻訳して「すがた」に表すことができる。今、求められている状況下において、その最適な内容を「すがた化」し、都市や田舎や市場や様々なフィールドに導入することで、効果を発揮し、生活者や推進者に高揚感や連帯感や達成感をもたらし、次のステップに発展させることを期待させる。基礎デザイン学科はそんなデザインの力を醸成して、幅広い視野で活用する人材を輩出している。
色彩計画家
1972年基礎デザイン学科卒業後、向井周太郎デザイン研究室勤務。1974年渡仏、フランスの著名なカラリスト、ジャン・フィリップ・ランクロ教授のアトリエで環境色彩デザインを学ぶ。その後、日本各地の環境色彩調査を行い、地域色を活かした環境色彩計画を数多く実践してきた。また、建築物等の色彩を数値で表す手法を開発し、国の景観法の色彩基準の基礎をつくった。武蔵野美術大学造形学部教授、カラープランニングコーポレーション・クリマ代表取締役。主な著書に『まちの色をつくる…環境色彩デザインの手法』(建築資料研究社)、『景観法を活用するための環境色彩計画』(丸善出版)等がある。
1970年代から、多くの都市デザイナー達と協働して環境色彩計画を進めてきた。その中で考え続けてきたことを提示する。
自然はカラリスト…自然は色を巧みに使いこなす。すべてのカラーデザインは、この自然の巧みな色使いを学ぶことから始まる。
地域には地域の色がある…世界の伝統的なまちは、その地域で産出した建材を使い、その色使いを洗練してきた。環境色彩計画はこの地域特性を知ることから始まる。
慣れ親しんだ色を生かす…まちにはそれぞれ慣れ親しんだ地域色がある。この慣例色を活かすことが環境色彩計画の基本である。
まちに色のリズムをつくる…環境色彩計画において図と地の概念は重要である。図と地を調整し、まとまりの中にも変化のリズムがあるまちの再生を目指す。
私は、これまで都市デザインの分野で環境色彩計画の仕事を続けてきた。環境色彩計画という分野を開拓する上で、大学で学んだ基礎デザイン学科の理念は、私に大きな影響を与えた。デザインを科学的に考えることは、地域の色彩を詳細に把握する上で有効であった。またソシオデザインについても教えを受けたが、デザインは社会性を持った活動であるという考え方は、環境色彩計画を景観法の中に位置づけていく上で大いに役立った。そしてデザインは商業活動に参加するだけではなく、真に暮らしやすいまちをつくるために必要なものであり、新奇性を競うだけではなく、市民とともに考え続けることの大切さもここで学んだ。基礎デザイン学は常に私を触発する。